8月10日、「あいちトリエンナーレ」「表現の不自由展・その後」中止で広がる波紋が、ウェークアップで放送され橋本五郎さんの発言が話題になっています。
あす8月10日 #ウェークアップ ぷらすは
▽お盆休みの列島に台風10号接近中。進路最新情報を #蓬莱さん が解説 ▽「あいちトリエンナーレ」「表現の不自由展・その後」中止で広がる波紋 公的な性格を持つ芸術祭の運営として問題はなかったのか?▽特集は「路面電車を使った街づくり」#ntv #ytv pic.twitter.com/Lud49xzMBj
— ウェークアップ!ぷらす公式 (@ytvwakeup) August 9, 2019
目次
橋本五郎、ウエークアップ!ぷらすで話題!の反応
橋本五郎の政治プロパガンダだとする意見に南弁護士のそう思うのも意見のひとつ、色んな議論があっていいが政治が介入するべきではないとバッサリ
神戸シンポジウムの中止も残念だと
名古屋の意志と捉えかねないと意味不明な河野景子さん#ウェークアッププラス #表現の不自由展 pic.twitter.com/6k1HdYQxCh
— スカラ (@kurofmarry) August 9, 2019
「ウエークアップ!ぷらす」。VTRでは「表現の不自由展その後」の慰安婦像の展示は伝えたが、昭和天皇の御真影を焼く映像展示は伝えず。
スタジオで橋本五郎氏「昭和天皇の御写真を焼く映像展示がある。公的な機関がお金を出す所でやることが許されるのか。どこまでが表現の自由か。これが芸術なのか」— 和田 政宗 (@wadamasamune) August 9, 2019
慰安婦像だけに反対派は怒っているわけではないのに、なぜテレビはそこしか映さない?橋本五郎さんは燃やされる昭和天皇に言及したのは流石!報道はもっと公平にやるべき。
#ウェークアップ#トリエンナーレ— もち吉さん (@mochikichi_san) August 10, 2019
#ウェークアップぷらす に出演してる南和行弁護士は「表現の不自由展」の作品は政治的に偏ってないと断言していた。
どう贔屓目に見ても無理がある。
橋本五郎氏に助けられました。
— あずさ (@4jQJOjrmeIcM1Xw) August 9, 2019
昭和天皇の御写真を焼く映像展示の件を話題を橋本五郎さんがあげた件についてのコメントが多くありました。
橋本五郎、ウエークアップ!ぷらすでの話の流れ
先週開幕したあいちトリエンナーレ2019ですが、開幕直後から騒動がぼっ発しました。
問題となったのは今回の目玉企画の1つである「表現の不自由展その後」でこの企画は中止になり主催者側によると、中止された企画展は今後再開する予定は無いそうです。
過去に全国の美術館やギャラリーなどで展示を拒否された作品を一堂に集めたという企画展で、その中に従軍慰安婦を題材とした作品「平和の少女像」が大きな問題となりました。
河村たかし市長はこの表現の不自由展その後を視察しすぐに中止をするよう大村知事に要請します。
さらに京都アニメーションへの放火殺人事件を模倣するような内容のFAXが主催者側に送りつけられるなど、騒動は安全管理上の問題までひろがっていきました。
開幕から僅か3日目で大村知事は安全面での理由からこの表現の不自由展その後の企画すべてを中止すると発表しました。
ここでは、河村たかし市長や国の要請があっての中止ではない事は会見で説明されました。
芸術祭の監督を務め企画展をプロデュースしたジャーナリスト・津田大介さんは「僕のやりたかったことは“表現の自由”を巡る現在地を問題提起すること」とコメントされました。
神戸市は来月からの現代美術イベントの関連行事として今月18日、津田大介さんらを招いたシンポジウムを予定していたが、問い合わせや抗議が相次ぎ中止にした事が発表されました。
今回の表現の不自由展その後には昭和天皇の御写真を焼く映像も展示されていた事について橋本五郎さんは言及されましたが、その話は避けるよう形で進行は進んでいきました。
橋本五郎とは
竹内涼真さんの「たまには頑張らなくもいいんだよ」の言葉で、がんばりたくなくなってしまった #水卜麻美 アナ…。
急きょ、#橋本五郎 さんの「スッキりす占い」に🤗 五郎さんの優しい声で聞く占い…ありがたいお言葉を聞いているようで、じわじわとしみました。#スッキりす🐿#スッキリ pic.twitter.com/qJdPIboaGr
— 日本テレビ スッキリ (@ntv_sukkiri) June 11, 2018
橋本五郎(はしもと ごろう)
☆生誕 1946年12月29日 日本・秋田県山本郡琴丘町 ☆教育 慶應義塾大学法学部政治学科 ☆職業 新聞記者 ☆活動期間 1970年 – 現在 ☆代表経歴
読売新聞東京本社特別編集委員
読売新聞時代には渡邉恒雄さんの腹心と呼ばる程、優秀な方ですが現在はテレビのコメンテーターとしても活躍されています。
1970年4月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、読売新聞社入社。 地方部浜松支局に配属され1976年、本社政治部に異動し、政治部次長・論説委員・政治部長を歴任され渡邉恒雄の腹心といわれるようになります。
2006年12月から特別編集委員に就任。また、2011年4月から、東日本大震災復興構想会議委員も担当されています。
–その他