姶良市、別府川が氾濫危険水位!継続的な雨の影響で土砂災害の被害にも注意! | サイネタ

7月1日、午前3時過ぎに鹿児島県姶良市を流れる別府川が氾濫危険水位を超えたと発表がありました。

午前5時半の時点でも別府川の氾濫危険水位は超えており、鹿児島市を流れる甲突川、日置市を流れる神之川も同じく氾濫危険水位を超えて危険な状況になっています。

鹿児島 姶良 別府川が氾濫危険水位に #nhk_news https://t.co/hLTLWU41kZ

— NHKニュース (@nhk_news) June 30, 2019

目次

姶良市、別府川とは

別府川(べっぷがわ)は、鹿児島県薩摩川内市(旧薩摩郡祁答院町)、姶良市(旧姶良郡蒲生町、姶良郡姶良町、姶良郡加治木町)を流れて鹿児島湾(錦江湾)に注ぐ二級河川である。

正式名は「べっぷがわ」であるが、流域の住民には同じ漢字で「びゅうがわ」と読まれており、流域の各学校の校歌でもそのように歌われている。

船津から下流では、別府川は北へ屈曲しており、この部分で水が右岸に当たって跳ね返り、増水時には左岸側、三拾町千本地区にたびたび洪水の被害をもたらしていた。

またこの部分の岩山が蒲生方面との舟運の障害ともなっていたので、明治になってから除去して川をまっすぐにする工事が始められた。

1869年(明治2年)4月から付替工事に着手されたが、いくら工事をしても別府川の流れは変わらず、結局付替に失敗した。

地元出身の隈元 実行県議の陳情により、1936年(昭和11年)12月に鹿児島県により別府川改修事務所が設置され、護岸工事に着手した。

1937年(昭和12年)から着工し、第二次世界大戦の影響で1942年(昭和17年)に中止しなければならない状況になったが、必死の陳情活動により戦争中にもかかわらず再開され、1951年(昭和26年)までかけて完成した。

その後も継続的に改修工事が実施されている。

https://ja.wikipedia.org 引用

姶良市、別府川の状況

鹿児島県を中心に活発な前線の影響で発達した雨雲が次々とかかって非常に激しい雨が降っています。

7月1日も九州を中心に局地的に非常に激しい雨が降り続く土砂災害や川の氾濫、低い土地の浸水への可能性もあり継続的に厳重な警戒が必要となっています。

九州では、30日から断続的に激しい雨が降り、48時間の雨量が多いところで300ミリから450ミリ近くに達していて、鹿児島県、宮崎県、熊本県では土砂災害警戒情報が発表されている地域も多くあります。

西日本を中心に断続的に雷を伴って1時間に50ミリ以上の非常に激しい雨が降る見込みで、特に九州南部では局地的に非常に激しい雨がふる事も想定されますので、小ぶりになっても安心は出来ません。

2日朝までの24時間に降る雨の量は以下の予測になります。 ・九州南部で200ミリ、 ・九州北部と四国、近畿で100ミリ、

・東海で80ミリと予想され、

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