— 旅リスト (@tabi_list) August 22, 2019
ヒルナンデス!で紹介 山形のソウルフード 屋台のどんどん焼き
『coco夢や』の場所はどこ?メニューを紹介#ヒルナンデス! https://t.co/EyL5fCig0F pic.twitter.com/qrqqiXQqSf
— Activi TV (@ActiviTV) August 22, 2019
山形のソウルフードの『どんどん焼き』がヒルナンデスに出てるぅ😋
山形出身の私ももちろん大好き👍🏼 pic.twitter.com/IcFacQdi9J— なおこ (@giniro_da_ice) August 22, 2019
どんどん焼きのお菓子もおいしいとの声もあがっていました。
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CoCo夢やの冷凍どんどん焼き
店舗紹介
CoCo夢や ヨークベニマル店 ☆予約・お問い合わせ 023-631-5311 ☆予約可否 予約可 ☆交通手段 羽前千歳駅から865m ☆営業時間・定休日 営業時間 10:30~19:00 日曜営業 定休日 無休 ☆支払い方法 カード不可 ☆席数 48席 ☆個室 無 ☆貸切 不可 ☆禁煙・喫煙 完全禁煙 ☆駐車場 有
ヨークベニマル大野目店の駐車場利用
カフェココユメ セブンプラザ店
どんどん焼きとは?
Q いつからあるの? 大正時代、東京ではもんじゃ焼きを駄菓子屋とは別に屋台で売り歩くようにもなりましたが、駄菓子屋のようなゆるい粉では持ち帰り用としては適しません。そこでもんじゃ焼きは「固さ」を必要としました。その固くしたもんじゃこそが、「どんどん焼き」の始まりです。一方山形のどんどん焼きの歴史は戦前から始まります。 Q なぜ「どんどん焼き」って呼ぶの? 屋台で売り歩くときに、客よせのために太鼓をドンドンとならしながら売り歩いたことからこう呼ばれるようになりました。地域によってはこの屋台で今川焼きのようなものや、飴なども売られていたこともあります。そのため今川焼きのことをどんどん焼きと呼ぶ地域があるようです。また、主に関西方面に伝わっていったものは「一銭洋食」と呼ばれるようになりました。ソースを塗って安価で売られていたのがその名の由来のようで、戦後、関西ではこの一銭洋食が現在のお好み焼きへと発展しました。 Q だれが始めたの? 山形で棒に巻くどんどん焼きを初めた人物、それは大場亀吉さんです。大場さんは汚れた手ぬぐいをベルトに挟み込み、下駄を履いた小柄な人でその人こそ、箸に巻くどんどん焼きを発明した人物なのです。 大場さんは戦前からどんどん焼きを焼き始めました。それ以前は山形にどんどん焼きはなく、大場さんが東京で学んで山形で始めたのでした。やはり大場さんも太鼓を叩きながら売っていましたが、この鳴り物はのちに鐘へと姿を変えました。 Q なぜ箸に巻くの? 当初どんどん焼きは経木にのせて売っていたのですが、子供達は熱くて持つことができません。それを見た大場さんは箸に巻くことを思い付き、自らナイフで木片を削って棒を作り、一本で巻く技術を習得し売るようになりました。これが山形特有の箸に巻くどんどん焼きの誕生です。これによって、手に持って熱くなく、片手で持ち歩けるようになり現在のファーストフードのような手軽さが生まれました。
その後、大場さんをまねてどんどん焼きを売るようになった新人さんたちは、一本の棒で巻こうとしたのですが、初心者には難しく、結局二本で巻くことにしたそうです。これが今の割り箸一膳に巻くどんどん焼きのルーツです。
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