2004年(平成16年)12月19日阪神競馬第5競走の2歳新馬戦(芝2000メートル)で武豊を主戦騎手に据えてデビューし全てのレースは武豊さんが引退まで手綱を握ります。
三冠のかかった2005年(平成17年)10月23日の第66回菊花賞。京都競馬場には菊花賞の入場動員レコードとなる13万6701人(前年度比182.0パーセント)の観客の中、シンボリルドルフ以来、21年ぶり史上2頭目の無敗での三冠馬となりました。
有馬記念ではいつものように後方から進めるも、ハーツクライに半馬身及ばず2着に惜敗し、8戦目にして初黒星を喫してしまい鞍上の武豊さんは初めての敗戦にショックを隠し切れない程、落胆ぶりでした。
凱旋門賞は、前年の同競走の優勝馬ハリケーンラン、前年のブリーダーズカップ・ターフの優勝馬シロッコ、そしてディープインパクトの古馬3頭が「三強」を形成しまhしたが、残り300メートル地点でいったん先頭に立ったものの突き放すことはできず、残り100メートル地点でレイルリンクに、さらにゴール直前でプライドにも交わされて3位入線に終わりました。
ヨーロッパ特有の重い馬場を敗因として挙げ現地のレースを1回経験させておいたほうが良かったのではと元騎手の岡部幸雄さんはコメントしました。
しかしそのわずか数日後、凱旋門賞のレース後に実施された理化学検査でフランス競馬における禁止薬物イプラトロピウムが検出されたことがJRAによって発表されそして11月16日、正式に凱旋門賞失格となってしまいました。
2006年、12月24日の有馬記念で武豊さんが「生涯最高のレースができた」「今までにないくらい、強烈な『飛び』だった」というぐらいの完璧なレースで優勝しそのまま引退しました。
–スポーツ