生放送のニュース番組でコメンテーターが激怒「人権感覚の欠如」 ネット賛否/芸能/デイリースポーツ online https://t.co/UHMKwsjKHX #DailySports
— デイリースポーツ (@Daily_Online) May 10, 2019
目次
若一光司が問題視したコーナーとは
□『かんさい情報ネット ten.』(2019/05/10)
※「迷ってナンボ!」より酷い企画に驚いた。コメンテーターには救われたけれども。 「怒りの表明」、そして「その場で怒る」ということが、
いかに大切なことかを見せてくれた。#ten #若一光司 pic.twitter.com/9f84T2CHSh
— シゲ (@suryagudang) May 10, 2019
若一光司さんが人権問題として怒り
をあらわにした経緯を紹介します。
読売テレビのニュース番組「かんさい情報ネットten.」(月~金曜、後4・47)で10日、コメンテーターの作家・若一光司氏が、お笑いコンビ・藤崎マーケットが男性か女性かわかりづらい人の性別を知るために免許証を見せてもらうなどして確認したことに対して、「許しがたい人権感覚の欠如。よくこんなもん放送できるね」と怒り心頭に発し、生放送でスタジオが静まりかえる事態になった。
若一氏が激怒したのは、藤崎マーケットが街でさまざまなことをリサーチする「迷ってナンボ!」のコーナー。店の常連が男性なのか女性なのかがわからないという店員の依頼で当該人物に確認するという内容で、当初は恋人の有無や下の名前を聞いたり、胸を触ったりしていたが、最終的には免許証を見せてもらい“解決”した。
このVTRに若一氏が激怒。「あのね、男性か女性かという聞き方、許しがたい人権感覚の欠如ですね。個人のセクシャリティにそういう形で踏み込むべきじゃないです」とバッサリ。中谷しのぶアナウンサーや澤口実歩アナ、小島康裕解説デスク、ライセンス・藤原一浩、菊間千乃弁護士がいたが、誰も一言も発せないままだ。
若一氏は「こんなもんよく平気で放送できるね。報道番組として、どういう感覚ですか。ちゃんと考えろよ」と語気を強めた。中谷アナが「皆さんの悩みを聞きながらということですから…」とフォローしようとしたが、それを遮り、「たとえご本人がテレビに出ることを了解しているとしても、個人のセクシャリティにそういうアプローチをすること自体が人権感覚、人権意識にもとります」と、憤まんやるかたないようだった。
ネットでは「放送事故になっとる」、「生放送にブチ切れやばい」、「急に凍り付いた」といった声が並ぶ一方、「取材された当事者がOKなんだから」と、VTR放送を擁護する声もあった。
なお、番組ラストでは、和歌山・白浜のパンダの話題に、若一氏をはじめ出演者一同が笑顔を見せていた。
若一氏は地元大阪の歴史や、イスラエル問題、第2次世界大戦の日本軍一等兵を扱った著作で知られる。
世間の反応としては若一光司さんの 怒る事に納得している声が多数あが
っています。
若一光司の経歴
若一光司さんの経歴は以下の
通りです。
若一 光司(わかいち こうじ、1950年10月16日-) 作家・評論家・画家。大阪府生まれ。大阪市立工芸高等学校美術科卒業。
家族の公表は無し。
高校在学中から大阪(信濃橋画廊)・東京(村松画廊)で個展を開催するなど、現代美術作家として活動。1969年の村松画廊での個展では、ハツカネズミの死体(実物)を透明アクリルで挟んでプレスした作品を展示するなどして、一部で注目された。また、1970年には松本雄吉らと共に劇団日本維新派(現在の劇団維新派)の結成に参加。日本維新派の命名も、若一によるとされている。
高校を卒業後、コピーライターやCFディレクターを経て、1973年に企画会社プランニング・インターナショナルを設立。代表取締役・クリエィティブディレクターとして、各種の商品開発や販売促進、広告の企画制作に従事。ストリッパーと知的障害の青年との愛を描いた『海に夜を重ねて』(河出書房新社)で1983年度の文藝賞を受賞してからは、作家活動に専念。同受賞作は中原俊監督により『メイク・アップ』のタイトルで映画化された(主演は烏丸せつこ)。1986年には咲くやこの花賞を受賞。
70年代の早い時期からパレスチナ難民支援運動に関わり、中東や東南アジア諸国を往来。1973年にはパレスチナ問題の先駆的な入門書といえる『イスラエルの中のアラブ人』(サブリ・ジェリス著)を奈良本英佑(現・法政大学教授)と共訳し、サイマル出版会から刊行している。数次にわたってレバノンやシリアのパレスチナ難民キャンプに滞在し、PFLP(パレスチナ解放人民戦線)などとも密接に連携しながら難民支援活動を行っていたとされるが、その間の経緯について本人は多くを語っていない。
また、アジア各国の事情や人権問題に精通しており、朝日・毎日・産経の各新聞にアジアに関する連載ルポやコラムを執筆。人権分野ではとりわけ在日韓国朝鮮人問題と死刑問題に関して積極的に発言。徹底した死刑廃止論者の立場から、テレビ朝日の『朝まで生テレビ』に出演したり、死刑擁護派であるジャーナリストの大谷昭宏と、テレビ番組の中で何回となく激論をたたかわせたりしている。NHK総合テレビ『アジア・マンスリー』のキャスターを3年間務めるなど、テレビ出演も多く、歯に衣着せぬ率直(ともすれば過激)な発言で知られる。
テレビ大阪番組審議委員、豊中市文化専門委員、大阪府在日外国人問題有識者会議委員、アジア太平洋人権情報センター企画運営委員、豊中国際交流協会理事などを歴任していたが、2000年にすべての役職を辞任。1999年からの3年間、大阪市立大学大学院の非常勤講師として異文化コミュニケーション論を担当。人権問題や国際理解の分野でも活発な言論活動を展開している。日本文芸家協会会員。
2002年12月に番画廊(大阪)で32年ぶりの個展を開催し、コンピュータグラフィックスによる超現実主義的な絵画を発表して読売新聞やテレビニュースなどで報道された。
2003年には公募展にも出品。「天理ビエンナーレ展」で道友社賞、「さかいでArtグランプリ」で佳作賞、「プリンツ21グランプリ展」で新日本造形賞、「川の絵画大賞展」で佳作賞を連続受賞し、画家としても注目されるようになるが、なぜかそれ以降は発表を中断している。
著書: 「海に夜を重ねて」河出書房新社 「漂う光に」長征社 「楽しい化石採集」松籟社 「最後の戦死者」河出書房新社 「逆光の都市で」ブレーンセンター 「化石のたのしみ」河出書房新社 「ペラグラの指輪」北宋社 「国道一号線の手向け花」ブレーンセンター 「我、自殺者の名において」徳間書店 「アジアとふれあう街で」ブレーンセンター 「二十世紀の自殺者たち」徳間書店 「石が語る、恐竜が目覚める」徳間書店 「万華鏡の割れた日に」有学書林 「大阪が首都でありえた日」三五館 「琵琶湖遊行」京阪電気鉄道 「死者からの年賀状」有学書林 「エンドレスマインド」ブレーンセンター 「自殺者」幻冬舎文庫 「自殺者の時代」幻冬舎文庫 「20世紀の非凡なる情熱家たち」白馬社
ほか
関西のテレビ番組で、コメンテータ ーとして多数の番組に出演されてい
ます。
若一光司のこれから
若一光司さんの今回の怒り、発言は もっともな内容ですが、これで次回 からは番組に出ないのではという心
配する声も出ています。
若一光司さんはこの発言のはいつ もの穏やかな若一さんに戻り、怒り を引きずらない所は見習わないとい
けないなと思いました。
番組からの正式なコメントなど待た
れる所です。
–芸能