そのままで行くとこのスタメンに
なります。
1(遊)木浪(背番号0)
2(中)近本(背番号5)
3(右)糸井(背番号7)
4(三)大山(背番号3)
5(左)福留(背番号8)
6(一)ナバーロ(背番号99)
7(二)糸原(背番号33)
8(捕)梅野(背番号44)
9(投)メッセンジャー(背番号54)
投手はオリックスから移籍した西投手 がもともとの本拠地スタートになるの で開幕投手かという声もあがりました が、予告先発でメッセンジャー投手と
の発表がありました。
梅野隆太郎選手は5年前の入団から正捕手 として期待されていましたが3年目までは
期待に応える事ができませんした。
2年前のほぼ正捕手として確立しましたが 昨年は持前の打撃も復調しバットでも
貢献できるようになりました。
それでは梅野隆太郎選手の経歴
から紹介しましょう。
目次
梅野隆太郎選手の経歴
梅野隆太郎(うめの りゅうたろう) 出身地:福岡県那珂川市 出身高校:福岡工大城東高校 出身大学:福岡大学 生年月日:1991年6月17日 身長:173 cm
体重:77 kg
それでは梅野隆太郎選手のプロ入り
までの経歴を見てみましょう。草野球に親しんでいた父の影響から、小学校 2年生の時に、父がコーチを務めるリトルリーグ 加盟の少年野球チーム「片縄ビクトリー」へ
第27期生として入団。
入団当初のポジションは外野手であったが
、四年生から捕手に転向した。中学生時代には、ジャパンリーグ(日本硬式野球連盟 )に加盟する「那珂川シャークス」に
第19期生として所属。
在籍中の2005年・2006年に春季ジャパンリーグで2年 連続優勝を果たすなど、「4番・捕手」としてチーム を数々の大会で優勝に導いた末に、特待生待遇で
福岡工大城東高校へ入学した。
福岡工大城東高校では、1年生の夏にベンチ登録を勝ち 取ると、1年生の秋から2年生の夏まで再び外野手とし
てプレー。
2年生の秋からは、捕手へ復帰するとともに主将を務めた。
在校中には公式戦で通算24本塁打を放ったが、春夏を通じて
全国大会とは無縁であった。2011年に高校から直接阪神に入団した中谷将大は1年後輩で、
在校中には梅野と同じく外野手から捕手に転向している。高校3年秋の2009年NPBドラフト会議で指名される可能性も あったが、「下位指名でプロ野球に入れたとしても、身体も できていないし勝負できない」という理由で、地元の
福岡大学への進学を決めた。
福岡大学への進学後は、1年生の春から九州六大学野球の
リーグ戦へ出場。在学中には、チームを2012年春から4季連続の全国大会出場 へ導くとともに、リーグ戦通算で28本塁打と3割以上の打率
を記録した。
また、3年生からは主将を任された。
ちなみに、社会人野球の宮崎梅田学園を経て2015年から2017年 まで千葉ロッテマリーンズに所属していた信楽晃史投手とは
同級生で、在学中にバッテリーを組んでいる。
4年夏には第39回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出、
ここでも主将を務めた。2013年のNPBドラフト会議で、阪神から4巡目指名を受けて入団。
高校の後輩の中谷と再びチームメイトになった。背番号は44で、担当スカウトは田中秀太であった。 ドラフト会議後の同年11月8日には、ヤフオクドームの九州大学
野球選手権決勝で日本文理大学に勝利。
この勝利によって、第44回明治神宮野球大会へ九州代表と
して出場した。同大会では、八戸学院大学との1回戦(11月16日)に
「4番・捕手」として出場。ソロ本塁打を含めて3安打を放ったが、チームは2-6で敗退した。
梅野隆太郎選手の特徴
梅野隆太郎選手の特徴はやはり強肩と
守備力にあります。
昨年はゴールデングラブ賞を獲得し
正捕手の座を不動のものにしています。
大学時代は長打力のある打撃をみせて おり大学JAPAN代表で4番も任されて
いました。
昨年はその打撃も復調の兆しがあり
今年は打撃も楽しみな状況です。
送りバントにも定評があり2017年には 27犠打でセリーグ2位の記録を作り
ました。
梅野隆太郎選手のこれから
梅野隆太郎選手に求められるのは糸原選手
とセンターラインを死守する事です。
今年はショートとセンターに新人が入り
ますので、責任は重大になります。
タイガースは若手の投手にいい素材の 選手が多いのですが、伸び悩んでいる 選手もいるので、才能を開花させる 手助けをしてもらい投手陣の底上げを
期待しましょう!
–スポーツ