被害 ☆死者・行方不明:1,269名 ☆住家の全・半壊・流出:16,743戸 ☆住家の床上・床下浸水:521,715戸 ☆耕地被害:89,236ha
☆船舶被害:260隻
雨は25日から降り始めたが、台風と前線の影響で26日には豪雨となり、台風の中心が伊豆半島に最も接近した26日20時から23時頃が最も激しく、湯ヶ島では21時からの1時間雨量が120ミリメートルにも達し、総雨量は753ミリメートルに達しました。
旧中伊豆町の筏場地区においては激しい水流によって山が2つに割れたほどで、同時に、所によっては深さ12メートルにもなる洪水が起こり、これが狩野川を流れ下りました。
この猛烈な洪水により、川の屈曲部の堤防は破壊されて広範囲の浸水が生じ、また途中の橋梁には大量の流木が堆積し、巨大な湖を作った後に「ダム崩壊現象」を起こしてさらに大規模な洪水流となって下流を襲う事になります。
旧修善寺町では町の中央にある修善寺橋が同様の状態になり、22時頃に崩壊し鉄砲水となって多くの避難者が収容されていた修善寺中学校が避難者もろとも流失しました。
らに下流の大仁橋の護岸を削り、同町熊坂地区を濁流に飲み込み多数の死者を出しこの地区の被害が大きかったために、当時の首相である岸信介がヘリで視察にきています。
静岡県全体の死者行方不明者は1046人で、そのほとんどが伊豆半島の水害になりました。
災害後の対策
伊豆半島内陸部の度重なる高い降雨量による狩野川の氾濫に対処するため、1965年7月に狩野川放水路が完成しました。
この放水路は狩野川台風の前から建設が始まっていましたが、狩野川台風の被害を受けて水路の幅やトンネルの数が拡張されています。
また、被害が大きかった静岡県旧大仁町上島地区では、狩野川の流れを直線化する神島捷水路の工事が行われました。
今夜の夜から朝にかけてが関東への影響はピークになりますので、災害への対策をしておきましょう。
–気象情報