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鈴木貫太郎、おはよう日本の放送で話題に!嘘をつく国民になってはいかん!

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8月15日、きょう終戦から74年/孫が語る終戦時の首相・鈴木貫太郎「戦争を終わらせる覚悟」がNHKおはよう日本で放送され話題になっています。

現在は孫の道子さんが語り部として活動されてる様子も紹介されました。

鈴木貫太郎の反応

終戦時の首相鈴木貫太郎の言葉で嘘をつく国民になってはいかんには賛否の意見に分かれています。

鈴木貫太郎とは


鈴木貫太郎(すずき かんたろう)

☆生年月日
1868年1月18日
(慶応3年12月24日)
☆出生地
日本 和泉国大鳥郡伏尾新田
(現・大阪府堺市中区)
☆没年月日
1948年4月17日(80歳没)
☆死没地
日本 千葉県東葛飾郡関宿町
☆出身校
海軍大学校卒業
☆前職
枢密院議長
☆所属政党
大政翼賛会
☆称号
海軍大将
従一位
勲一等旭日桐花大綬章
功三級金鵄勲章
男爵
☆配偶者
鈴木トヨ(先妻)
鈴木たか(後妻)
☆子女
鈴木一(長男)
藤江さかえ(長女)
足立ミつ子(次女)
☆親族
鈴木由哲(父)
鈴木孝雄(弟)
足立基浩(曽孫)
藤江恵輔(娘婿)
足立仁(娘婿)
小堀桂一郎(遠戚)

☆ 第42代 内閣総理大臣
内閣
鈴木貫太郎内閣
在任期間
1945年4月7日 – 1945年8月17日
天皇
昭和天皇

☆第22代 枢密院議長
在任期間
1945年12月15日 – 1946年6月13日

☆第70代 外務大臣(兼務)
内閣
鈴木貫太郎内閣
在任期間
1945年4月7日 – 1945年4月9日

☆ 第3代 大東亜大臣(兼務)
内閣
鈴木貫太郎内閣
在任期間
1945年4月7日 – 1945年4月9日

☆ 第20代 枢密院議長
在任期間
1944年8月10日 – 1945年4月7日

1941年12月に日本は大東亜戦争に参戦したが、戦況が悪化した1945年(昭和20年)4月、枢密院議長に就任していた鈴木は、戦況悪化の責任をとり辞職した小磯國昭の後継として選出されます。

鈴木貫太郎は驚いて「とんでもない話だ。お断りする」と答えたが、既に重臣の間では昭和天皇の信任が厚い鈴木の首相推薦について根回しされており後継首班にすることが決定されました。

鈴木貫太郎は自分には政治的手腕はないと思っていたが、天皇に「頼む」とまで言われそれ以上固辞せず、皇太后は天皇よりも30歳以上年上の鈴木に対し、「どうか陛下の親代わりになって」と語られたようです。

8月6日の広島市への原子爆弾投下、9日のソ連対日参戦と長崎市への原子爆弾投下、15日の終戦に至る間、鈴木貫太郎は77歳の老体を押して不眠不休に近い形で終戦工作を行い昭和天皇の軍や国民の混乱を最低限に抑える形で戦争を終らせたいという考えの元精力を尽くしました。

御前会議は8月14日正午に終わり、日本の降伏が決定しました。

8月15日の早朝、佐々木武雄陸軍大尉を中心とする国粋主義者達が総理官邸及び小石川の私邸を襲撃しましたが、鈴木は警護官に間一髪救出されます。

正午、昭和天皇の朗読による玉音放送がラジオで放送された後に鈴木貫太郎は天皇に辞表を提出し鈴木内閣は総辞職しました。

鈴木貫太郎、これから

鈴木貫太郎が総理就任後にある談話は戦時下の世界に感銘を与えました。

今日、アメリカがわが国に対し優勢な戦いを展開しているのは亡き大統領の優れた指導があったからです。私は深い哀悼の意をアメリカ国民の悲しみに送るものであります。しかし、ルーズベルト氏の死によって、アメリカの日本に対する戦争継続の努力が変わるとは考えておりません。我々もまたあなた方アメリカ国民の覇権主義に対し今まで以上に強く戦います。という内容で、同じ頃ドイツ総統アドルフ・ヒトラーはラジオ放送でルーズベルトを口汚く罵っていたのと大きな違いだと話題になりました。

千葉県野田市に鈴木貫太郎記念館がありますので、一度訪ねてみるのもいいのではないかと思います。

鈴木貫太郎記念館

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