沖縄慰霊の日,追悼式で玉城知事、辺野古移設反対!安倍首相にヤジが飛ぶ! | サイネタ

6月23日、沖縄県糸満市で開かれた戦没者追悼式で安倍総理大臣があいさつをしました。

令和の時代でも決して戦争の惨禍を二度と繰り返さない誓いは変わらないと述べました。

沖縄の基地負担の軽減を引き続き取り組む考えを強調しましたが、移設に対する反対のヤジがおこりました。

首相「沖縄の基地負担軽減に全力尽くす」 戦没者追悼式で #nhk_news https://t.co/QTuqVAekY3

— NHKニュース (@nhk_news) June 23, 2019

目次

沖縄慰霊の日とは

「沖縄慰霊の日」の23日、沖縄県糸満市米須の慰霊碑「魂魄の塔」にも、早朝から遺族らが訪れました。オリジナル版は→https://t.co/o3Md93hEMi pic.twitter.com/n6F3zRImqK

— 毎日新聞映像グループ (@eizo_desk) June 23, 2019

沖縄慰霊の日は、1945年6月23日に沖縄戦が終結したことにちなんで琉球政府及び沖縄県が定めた記念日です。

毎年、糸満市摩文仁の平和祈念公園で沖縄全戦没者追悼式が行われます。

ちなみに琉球政府とは、1952年(昭和27年)から1972年(昭和47年)の沖縄返還まで沖縄本島を中心に存在した統治機構の名称です。

琉球政府をアメリカはコントロールしようとしましたが、本土復帰運動が盛んで、コントロールする事は出来ませんでした。

1972年の本土復帰前は、琉球政府が定めた国民の休日でした。

本土復帰後、慰霊の日はその法的根拠を失いますが、1974年には沖縄県が改めて条例により6月23日を慰霊の日を定めます。

6月23日を沖縄慰霊の日とした詳細は、第32軍司令官牛島満大将をはじめとする司令部が自決し沖縄本土決戦が終結した日と考えられているからです。

実際には、司令部が自決した後もそれを知らされなかった兵士たちが抵抗を続けたため、戦闘は継続的に行われました。

その事からこの日を沖縄慰霊の日と定める事に疑問に感じている人も多くいます。

沖縄県が主催する沖縄全戦没者慰霊祭は1962年から行われています。

式典中の正午には黙祷が沖縄戦犠牲者の遺族やその子孫により捧げられます。

沖縄慰霊の日、玉城知事の意志

https://mainichi.jp 引用

玉城(たまき)デニー知事は就任後初となる「平和宣言」を行いました。

「県民は想像を絶する極限状況の中で、戦争の不条理と残酷さを体験した。人間が人間でなくなる戦争は二度と起こしてはならない」と不戦の決意を述べた。

玉城知事は戦後74年の今も全国の米軍専用施設の約7割が沖縄に集中している現状にも言及。

2月の県民投票で辺野古の埋め立て反対が7割を超えたことを踏まえ、「県民投票の結果を無視して工事を強行する政府の対応は民意を尊重せず、地方自治をもないがしろにするものだ」と指弾した。

https://mainichi.j 引用

政府に対して辺野古が唯一との固定観念にとらわれずに県と対話して問題を解決していきたいと考えをのべました。

米軍基地の問題は沖縄だけの問題では無く、国民全体が当事者であるとの認識を持つようにと強く呼びかけました。

玉城デニー知事は「平和宣言」で、政府に対して批判を述べる事で、本土の人間にも沖縄の基地問題を真剣に考えてもらいたい意図を感じました。

「平和宣言」の締めでは、平和を愛する沖縄の心を子供達に伝えていくと決意をのべました。

この「平和宣言」に対し安倍首相は辺野古の移設については明言をさけました。

戦争の惨劇は二度と繰り返されない事と、基地の負担軽減に全力を尽くすと強調しました。

辺野古移設の話を避けた事により多くのヤジが安倍首相に飛びました。

本日の午前5時前には、陸上自衛隊員たちが希望者のみで自主参拝を平和祈念公園で行いました。

制服に身を包んだ40人程のメンバーが、旧日本軍の司令官らを追悼する慰霊碑に花を手向け戦没者らを悼みました。

この行為は、2004年ごろから始まった行事で陸上自衛隊第15旅団の隊員たちで私的に参拝しています。

日本陸軍第32軍の司令官・牛島満中将らをまつった黎明之塔に一人一人花を手向けて礼をしました。

一般戦没者を追悼する「しづたまの碑」や、殉職した県職員らを悼む「島守之塔」にも花を手向けています。

日出の5時20分前には解散して立ち去っています。

日本陸軍第32軍の司令官・牛島満中将は降伏せずに司令部を首里(那覇市)から南部に撤退させて住民を巻き込んだ持久戦で被害を大きくしたと考え批判する人も多い為にこのように目立たない形で自主参拝をしているようです。

沖縄慰霊の日とこれから

https://ryukyushimpo.jp 引用

沖縄決戦での悲惨な出来事はいつまでも忘れてはいけない事で記憶を継続さす必要があります。

沖縄での両軍及び民間人を合わせた地上戦中の戦没者は20万人と言われ、その内日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人といわれています。

沖縄出身者の9万4千人は民間人で、何かあれば自決できるように軍より手りゅう弾を渡された話は有名です。

戦争を風化させない事と、米軍基地の負担が軽くなる事が沖縄県民の願いである事は間違いないでしょう。

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