中森明菜さん(53)の妹で、元アイドルの明穂さん(52)が、死去されていた事が分かりました。
5月27日に急に病状は悪化しそのままお亡くなりになられました。
中森さん一家は6人兄弟姉妹(二男四女)で、皆さんの名前には明が入っています。
明菜さんは5番目の三女で明穂さんは末っ子になります。
5月29日には葬儀が行われましたが、中森明菜さんの姿は無かったようです。
死去された原因は肝硬変で、2週間前からヘルニアも併発していたそうです。
目次
中森明穂の経歴
中森 明穂(なかもり あきほ)
・生年月日 1966年10月12日 ・職業 元女優 ・出身地 東京都清瀬市出身 ・血液型 B型 ・親族
歌手の中森明菜の実妹
6人兄弟姉妹(二男四女)の6番目、四女。
1987年、テレビドラマ「月曜ドラマランド・スケバン保母さん ツッパリ風雲録」と「赤ちゃんに乾杯!」に出演。
当時の「GORO」や一部女性週刊誌では「穗」が旧字で「中森明穗」「明穗」という表記もあった。
1988年、セミヌードを含む写真集及びイメージビデオを発表。
姉の明菜は、そのコンセプトを耳にしてから、撮影に反対し続けていたという。
しかし、既にビッグネームになっていた姉の七光りで芸能活動を続けていると揶揄されることに反発を覚えていたため、姉の反対を押し切り(以降、疎遠になる)、当時としては大胆な衣装での撮影に挑んだ。
発売前は話題性で週刊誌やグラビアなどに取り上げられることもあったが、セールスには反映されなかった。
以降、目立った活動はなく、急速にその名が表に出ることがなくなった。
明菜とはこの騒動後、関係が断絶したとされる。
現在、既に引退している。
2019年5月27日、肝硬変にて死去。
中森明穂の姉明菜は葬儀に現れず
中森明菜さんとご家族には確執がありその関係で、葬儀に顔を出されなかったようです。
中森明菜さんはガンで亡くなられた母・千恵子さんの1995年の葬儀出席以降はご家族とは会っていないようです。
24年に渡って断絶状態で、家族は関係修復を願っているようですが、現在も関係修復には至っていないようです。
断絶状態になった理由は金銭トラブルのようです。
父親の話によると誤解を明菜さんがしていると話しています。
家族で経営していたスナックや中華料理店に明菜さんのお金が使われていると思いこんでいるのが原因。
当時の事務所からお金を中森さんの家族に持っていかれたと話していたようです。
ただ、真相については分からないままです。
明菜さんは、千恵子さんが亡くなる少し前に、中森家の戸籍から自分だけ籍を抜いていたそうです。
明菜さんの荷物も、事務所の人間が来てすべて持ち去っていったようで、断絶の意思は固いようです。
中森明穂、父のインタビュー
インタビューは下記の内容になります。
末娘の最期を、振り絞るように本誌に明かしたのは、父の明男さん(85)だ。葬儀から8日後の6月6日、自宅から出てきた明男さんを、本誌が直撃した。
亡くなった2日後の5月29日。明穂さんの葬儀が、東京都清瀬市の葬祭ホールで、しめやかに営まれた。火葬場は併設されていないものの、最大120人ほどが参列できる、多摩地区で最大規模の葬祭場だ。セレモニーホールには中森家の親族も勢ぞろいしたという。
しかし、出棺するそのときにも、明菜が姿を現わすことはなかった--。
「家族が明菜に知らせようとしたみたいだけど……。『連絡が取れなかった』とか、『都合が悪いみたい』とか言っていました。結局、明菜は来なかったんです」(明男さん)
明穂さんは、「姉ちゃんに会いたい」と願っていたという。
末娘の最期を、振り絞るように本誌に明かしたのは、父の明男さん(85)だ。葬儀から8日後の6月6日、自宅から出てきた明男さんを、本誌が直撃した。
亡くなった2日後の5月29日。明穂さんの葬儀が、東京都清瀬市の葬祭ホールで、しめやかに営まれた。火葬場は併設されていないものの、最大120人ほどが参列できる、多摩地区で最大規模の葬祭場だ。セレモニーホールには中森家の親族も勢ぞろいしたという。
しかし、出棺するそのときにも、明菜が姿を現わすことはなかった--。
「家族が明菜に知らせようとしたみたいだけど……。『連絡が取れなかった』とか、『都合が悪いみたい』とか言っていました。結局、明菜は来なかったんです」(明男さん)
明穂さんは、「姉ちゃんに会いたい」と願っていたという。
明穂さんはデビュー後、テレビドラマに出演し、女優の道へ進む。上の写真は1988年、朝日放送の主催で、芸能人が集まったミニバイクレースに出場した明穂さんだ。すでにトップアイドルとして活躍していた明菜もその背中を押していたが……。
「1988年に、明穂さんは下着姿を披露した写真集を出版。さらに、ヌードで登場したビデオが発売された。ひと言も相談しなかったことに、明菜が激怒し、2人の仲は悪化してしまう」(スポーツ紙記者)
以来、姉妹の仲は暗転。そのうえ、実家や親戚との「金銭トラブル」が相次ぐ。溝が広がった明菜と家族を繫ぎとめていたのは、母・千恵子さんの存在だった。
「だが明菜が『お母ちゃん』と慕っていた千恵子さんは、1995年6月に死去。千恵子さんの葬儀以後、明菜は家族との連絡をいっさい絶ったとされている」(同前)
2010年に、明穂さんは交通事故に遭い、右足に後遺症が残った。さらに親族の不幸も続いたという。それでも、明男さんは、気丈にこう話す。
「明菜のひとつ上の姉も、この近くに住んでいますし、食事や洗濯は自分でやってます。まぁ、それも気ままでいいですよ。私、健康なんですよ。今、医者にかかるのは、せいぜい歯医者さんぐらい。家族みんな、おかげさまで元気にやっておりますよ」
じつは、その生活を支えていたのが、亡くなった明穂さんだった。
「明穂と2人でこの家に住んでいましたから……。ひとりぼっちになっちゃった。お葬式をやったばっかりで、すぐに納骨するのは寂しい。家族内でも、なるべく骨は置いておこうよって話しています」(明男さん)
絶縁から24年--。かつては手を取り合った妹・明穂さんの葬儀に姿を見せなかった明菜の心境を、長年、彼女を取材する芸能リポーターの城下尊之氏はこう察する。
「明菜が明穂さんの死を知れば、自分より若くして亡くなったことに、強いショックを受けるはず。しかし溝は深く、どうしても家族と顔を合わせたくないのでしょう。きっとひとりで悲しみ、落ち込むのでしょうね」
最後に明男さんは、明菜への思いをこう語った。
「『ぜひ来てほしい』と明菜に伝えてください。お姉ちゃんたちも会いたがっています。明穂の最期がこういう状態だったということは、明菜に伝えておきたいですから……」
父の思いは、明菜に届くだろうか。
中森明穂もこれから
中森明穂さんは今でも熱狂的なファンが多く、コンサートやディナーショーはすぐに完売するようです。
ご家族との間は、関係が修復する事は難しそうです。
–芸能