フリージャーナリストの安田純平さん(45)が外務省に申請した旅券が、5か月にわたり発給されていない事が判明しました。
内戦下のシリアで約3年4カ月拘束され、昨年10月に解放されて数カ月後には旅券を申請した事になります。
共同通信は通信社で、加盟社である地方紙などに配信するのが本業なので同じものを全文ネットに出す訳にはいかない事情があります。それがYahooなどに掲載されてごく一部の話だけ広まり、論理も行間もない人々には改めて説明してもムダ、というのがSNSのありがちな展開です。
— 安田純平 (@YASUDAjumpei) June 6, 2019
目次
安田純平とは
安田純平(やすだ じゅんぺい) ・生誕 1974年3月16日 ・出身校 一橋大学社会学部卒業 ・職業 フリージャーナリスト ・活動期間 2003年1月 – ・活動拠点 中東及び北部アフリカ ・配偶者
深結
埼玉県入間市出身。お寺の過去帳で16代前まで先祖をさかのぼれる。
埼玉県立川越高等学校を経て、現役で一橋大学社会学部に合格、卒業。
1997年信濃毎日新聞入社、松本本社配属。
脳死肝移植問題などを担当した。
2002年3月、休暇をとりアフガニスタン取材。同年4月、文化部に異動、12月に休暇をとりイラク取材。
2003年1月に信濃毎日新聞社を退社し、フリージャーナリストに転身する。
2004年4月14日、先に拘束されていた日本人3人の人質(イラク日本人人質事件)の消息を摑むためファルージャに向かう途中、武装勢力に渡辺修孝とともに拘束されたが、4月17日に解放された。
拘束したのは武装農民で、昼間は農民として働き、夜はムジャヒディンとして活動していた。
4か所を転々としたが、縛られることはなく、部屋の中を歩いたり、屋外のトイレを使うことも出来た。
日本への帰国費用は、自分が持っていた格安航空チケットや自己負担のホテルを利用しており、日本国政府からの資金を使っていないと説明していたが、翌月に実際には外務省がイラクからヨルダンまでの航空運賃など計約五百ドルを拠出しており、返還請求されていることが明らかになった。
解放後に外国人特派員協会で会見を行った。
2005年1月、スマトラ島沖地震で被災したアチェ州を取材。
同年、ヨルダン、シリア、イラクを取材。内戦状態で取材が困難となったイラクに入国して取材するため、2007年、基地建設現場や民間軍事会社事務所などイラク軍関連施設で料理人として働きながら取材をし、『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』を記す。
2012年にはシリア内戦を取材。2009年にヒーリングシンガーのMyuと結婚。少林寺拳法二段。
安田純平の拘束まとめ
安田純平さんは過去に拘束された事が4回あります。
時系列で紹介していきます。
2003年2月 イラクにて一時出国するも開戦直後に偽造「人間の盾」ビザで再入国します。
その際にイラク軍に拘束され、観念してバグダッド南部のドーラ浄水場に入ります。
2003年その後もイラク警察などに数回拘束されますが、フセイン政権崩壊後まで滞在していました。
2004年 バグダッド西方アブグレイブで地元住民の自警団にスパイ容疑で3日間高速さっる。
2015年
安田純平のこれから
「身代金が払われた」ことを示す事実関係が全くでてきていないだけでなく、払われたとは考えられない事実関係がいくつもあるなかで、それでも「払った」と言いたい人々は、「テロに屈しない」を貫いた日本政府を「屈した屈した」と笑いものにしているだけであることに恐らく気づいていない。
— 安田純平 (@YASUDAjumpei) June 6, 2019
安田純平さんんの旅券が配給される事はないでしょう。
旅券の配給には以下の場合は配給されません。
・渡航許可していない国への入国した場合。
・国益に損害を与えた場合。
安田純平さんは身代金が支払われたかどうかを問題にしているようですが、考えがズレています。
安田純平さんの拘束解放の為にどれだけの人が動いたのかを理解されていないようです。
ジャーナリストなら時間の価値という物を理解しているはずですが安田純平さんにはその考えはなさそうです。
戦場に勝手に行ったのだから自己責任、と言うからにはパスポート没収とか家族や職場に嫌がらせしたりとかで行かせないようにする日本政府を「自己責任なのだから口や手を出すな」と徹底批判しないといかん。
— 安田純平 (@YASUDAjumpei) April 3, 2015
安田純平さんはこの考えが基本になっているのでしょう。
この考えがある限りは旅券の配給はするべきではないでしょう。
後、安田純平さんのパスポートが緑といく検索が出てきますがその内容を確認する事は出来ませんでした。
緑のパスポートは公用の場合に配給されるようです。
–その他