スリランカ治安状況!テロ発生?死者130人以上、怪我人は多数! | サイネタ

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本日の現地時間午前9時(日本午後 0時30分ごろ)スリランカの最大 都市コロンボと郊外で6か所同時

に爆発がありました。

教会とホテルが狙われた模様で、テ
ロの可能性が高いと思います。

スリランカの爆発事故状況

https://www.nikkei.com 引用

スリランカの爆発事故ですが、まだ 現地は混乱しており死者はまだまだ

増えるとみられています。

日本人の安否はまだ、確認がとれて
いません。

これまでの記事を紹介します。 スリランカ ホテルや教会6か所で爆発 多数の死傷者か 2019年4月21日 13時56分 スリランカで現地時間の21日午前9時ごろ、最大都市コロンボとその郊外にあるホテルと教会の合わせて6か所でほぼ同時に爆発があり、コロンボにある病院によりますと、これまでに25人が死亡、160人以上がけがをしたということです。

スリランカの警察によりますと、現地時間の21日午前9時ごろ(日本時間の21日午後0時半ごろ)、最大都市コロンボとその郊外にあるホテルと教会の合わせて6か所でほぼ同時に爆発がありました。

爆発があったのはコロンボにある「キングスベリー」「シナモン・グランド」「シャングリラ」の3つのホテルと、「セント・アントニー教会」、それにコロンボの郊外にある「ザイオン教会」と「セント・セバスチャン教会」の合わせて6か所です。

コロンボにある病院によりますと、これまでに25人が死亡、160人以上がけがをして手当てを受けているということです。

爆発があった教会3か所では、キリスト教徒たちがイースター=復活祭の祈りをささげている最中だったということです。

警察は、爆発の原因や複数の爆発の関連についても調べています。 屋根は吹き飛び 床にがれき

地元のテレビ局が伝えた爆発のあった教会とみられる建物の内部の映像によりますと、屋根は吹き飛び、床にがれきが散乱している様子がわかります。

礼拝用のいすもめちゃくちゃに壊れ、けがをした人たちもあちらこちらに横たわっています。 日本人の被害は確認中

外務省によりますと、コロンボにある日本大使館は日本人の被害の有無を確認しているということです。

まだ、犯行声明は出されていない
模様です。

スリランカの治安

https://ja.wikipedia.org 引用

スリランカの治安はテロが発生する までは比較的、落ち着いていました が、このテロをきっかけにどのよう

に変わるのか不安な所です。

スリランカの内戦など紹介します。

スリランカ民主社会主義共和国(スリランカみんしゅしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称スリランカは、南アジアのインド亜大陸の南東にポーク海峡を隔てて位置する共和制国家。首都はスリジャヤワルダナプラコッテ。

1948年2月4日、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名となった。人口は約2120万(2016年)である.

島国で、現在もこの国が占める主たる島をセイロン島と呼ぶ。国名をスリランカに改称したシリマヴォ・バンダラナイケは世界初の女性首相である。また、国民の7割が仏教徒(上座部仏教)である。

26年に亘る内戦 1983年: シンハラ人とタミル人との大規模な民族対立が起こって、全土にわたって暴動が繰り返された。これ以後、2009年に至るまで長期にわたる事実上の内戦状態が継続した。シンハラ人とムーア人の対立、シンハラ人内部の対立も激化する。 1984年: 首都をコロンボからその南東15kmに位置するスリジャヤワルダナプラコッテへ遷都。ただし行政庁舎は旧首都に留め置かれる。 1987年: 反政府組織タミル・イーラム解放のトラ (LTTE) が独立宣言し、内戦が続いた。インドの介入があったが成功せず、散発的なテロが続き再び戦いが起こった。 1988年: ラナシンハ・プレマダーサが大統領に就任し、内戦の終結を画策したが失敗する(1993年に暗殺)。 1989年: シンハラ人の急進派であった人民解放戦線(JVP。1967年成立)の指導者、ローハナ・ウィジェウィーラ(英語版)が殺害され、南部の治安が改善された。 1991年: インドのラジーヴ・ガンディー元首相が暗殺。LTTEの犯行声明が出される。 1994年: SLFPを主体とする人民連合(英語版) (PA) が選挙に勝利し、チャンドリカ・クマーラトゥンガが首相となり、後に大統領に選出される。 2001年7月: LTTEによりバンダラナイケ国際空港襲撃事件が引き起こされる。 2002年: ノルウェーの仲介によって、政府はLTTEとの停戦に合意した。その後、日本も仲介に乗り出す。 2004年3月: LTTEの東部方面司令官であったビニャガマムーシ・ムラリタラン(英語版)が同勢力を離脱、カルナ派を立ち上げ。LTTEとの闘争状態に入る。

2004年12月: スマトラ島沖地震の津波により沿岸部に死者3万人以上という大きな被害を受ける。

ウィキニュースに関連記事があります。 スリランカ大統領選、ラージャパクサ首相が辛勝

2005年11月: マヒンダ・ラージャパクサが大統領に就任。LTTEに対しては強硬姿勢を示す。

戦闘の激化により避難する人々 2006年7月: LTTEが東部バッティカロア県にて政府支配地域への農業用水を遮断したことを理由に政府軍が空爆を実施。戦闘が再燃]。 2007年7月:政府軍が東部州におけるLTTE最後の拠点であったトッピガラ(英語版)を攻略、同州からLTTE勢力を一掃する。 2007年11月: LTTE本拠地である北部キリノッチへの空爆で、LTTEのナンバー2で政治部門トップであり、和平交渉の窓口であったスッパヤ・パラム・タミルセルバン(英語版)が死亡。 2008年1月16日: 政府はLTTEとの停戦合意を正式に破棄すると発表。 2009年1月: 政府軍はLTTEの本拠地キリノッチを2日に、最後の都市拠点ムッライッティーヴーを25日に制圧。

2009年5月17日: ムッライッティーヴーの海岸部を残して、LTTEの実効支配地域のほぼ全てが政府軍に制圧される。LTTEは事実上壊滅状態に陥り、LTTE側もセルバラサ(英語版)広報委員長が事実上の敗北宣言である戦闘放棄声明を発表した。5月18日には、LTTEの最高指導者ヴェルピライ・プラブハカラン議長の遺体が発見され、政府はLTTEの完全制圧と内戦終結を宣言。

https://ja.wikipedia.org 引用

内戦が終了した2009年からは 治安も安定し日本で旅行社がツア

ーを組むぐらいになっていました。

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