— ユーキ(試験勉強中) (@yuh_key) September 14, 2019
わたなべまさことは
今店頭に並んでいる『Jourすてきな主婦たち』な、なんとわたなべまさこさんと坂田靖子さんの名前と作品が並んでます!凄すぎる!ベテラン作家を大事にしてくださってる双葉社さん有難い。坂田さんのは幽霊譚、英国といえば幽霊ですよねwそれにしてもわたなべまさこさんレジェンドにして現役バリバリ! pic.twitter.com/Ge0NOZFqXw
— amanoakimi (@amanoakimi) September 9, 2019
わたなべまさこ
わたなべ まさこ(本名:渡辺雅子、1929年5月16日 – )は、日本の漫画家で東京府出身です。
上野学園短期大学中退しています。
日本の少女漫画草創期から活躍し、現在も執筆を続ける巨匠の一人で、1971年、『ガラスの城』で第16回小学館漫画賞を受賞しています。
2002年、第31回日本漫画家協会賞として全作品に対する文部科学大臣賞を受賞、2006年の旭日小綬章は、女性の漫画家としては初の受勲でした。
日本漫画家協会理事で2013年に閉校した創造学園大学の創造芸術学部教授でした。
わたなべまさこと、インタビュー紹介
🌹👑✨
絵本買った♥#わたなべまさこ
🌹👑✨ pic.twitter.com/I6PTdPnBEE— YouYou (@mieuxmieuxmi) September 4, 2019
東京都内の自宅近くのラウンジ。総特集をめくりながら「幸せな本です。自分でも忘れている作品の方が多いくらいで、懐かしくなりました」とほほ笑んだ。 総特集は豊富なカラーイラストを収録。巻末のリストには、少女漫画の華やかな世界とサスペンスを融合させた『ガラスの城』や、中国古典を漫画化した『金瓶梅(きんぺいばい)』をはじめ、長短編合わせて五百以上のタイトルが並ぶ。「一つ描き終わると、次が頭に浮かぶ。自分でもこんなに時が過ぎたのかとびっくりしています」 子どものころから絵が好きで、魔女にあこがれていた。漫画との出会いは、長男を妊娠していた二十三歳の時。手塚治虫が描く映画のような世界に衝撃を受けて「自分も描いてみたい」とペンを走らせた。百二十ページを手探りで完成させた『小公子』を貸本専門の出版社に持ち込みデビュー。以後、次々と描いていった。 漫画家になった理由の一つは「子育てしながらできる」から。「子育てと仕事は一緒でした。育児の過程が物語にも組み込まれています」。授乳中に寝ると子どもをつぶしてしまうのではと不安になる。だから眠くならないように物語を想像し、漫画の下書きを書いた。やわらかさとはかなさをたたえた丸みのある子どもの絵、愛情に満ちた母親の描写には、母としての経験がにじむようだ。 六三年に少女向けの週刊誌『週刊マーガレット』(集英社)が創刊されると看板作家の一人として活躍。約二年連載した『ガラスの城』が小学館漫画賞を受けるなど人気を博した。 漫画は自由に世界をつくれる「魔法」だと語る。「私が漫画を描き始めたころ、戦後十年近くたっても物がなかったんですね」。冷蔵庫も洗濯機もない。「今の皆さんが想像できないほど何もない時代」だった。けれど絵なら何でもできる。「眠る時はせんべい布団じゃなく、天蓋(てんがい)付きのベッドとふかふかの羽根布団。バラは一輪ではなくダースで飾る。私の欲望です。米国の雑誌を参考に、夢見ているままを描きました」。ドラマチックな物語を彩る、おしゃれな洋館、レースのドレス、かれんな花々…。想像で紡いだまばゆい世界は少女らの心をつかんだ。 七〇年代後半からは活躍の場を芸能週刊誌やレディースコミックに移し、絵柄はぐっと官能的に。『悪女シリーズ』『金瓶梅』などで男女の愛憎や性愛を描き、人の業に迫った。 少女漫画誌で活躍した六〇年代の作品の入手は現在難しいが、一部を収録した『わたなべまさこ名作セレクション』(河出書房新社)が今年九月に刊行。読者を魅了した魔法の一端に触れられるようになったほか、八歳の少女が無邪気に殺人を重ねるホラー作品『聖ロザリンド』(七三年)も、宝島社から昨年復刊。旧作の再評価が進む。 ジャンルや流行にとらわれず、自身の興味を貫いた創作活動。「読者の一歩先を行くように。いろんな分野に挑戦してみるのが大切だし、面白いと思います」と振り返る。今も意欲は旺盛で、アイデアノートには漫画のほか、制作中の絵本の構想がびっしり。
ペンを握り続けてきた右手を見せていただいた。中指には、魔法をかけ続けてきた証しの大きなペンだこ。長編を終えると真っ赤に腫れて痛んだと懐かしむ。「漫画を描くことに飽きることはなかったし、生まれ変わっても漫画家になりたい。もちろん、これからも描くので楽しみにしていてください」
–アニメ