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糸井嘉男選手の経歴
糸井嘉男(いとい よしお) 出身地:京都府与謝郡与謝野町 出身高校:宮津高校 出身大学:近畿大学 生年月日:1981年7月31日 身長:188 cm
体重:97 kg
プロ入り前までの経歴を
紹介します。
糸井嘉男選手は中学時代は学校の軟式野球部
に所属。3年時、勝てば府大会へと繋がる試合の直前、 練習中に糸井がベンチに座りこんでいたのを 見つけた顧問の教師に「帰れ!」と怒鳴られ、 本当に帰宅してしまう(その教師はあくまでも
制裁で言っただけで本当に帰らすつもりはなかった)。
チームも早々に敗退してしまい、強豪校からの 誘いを受けられず、岩滝町に隣接する宮津市に
ある宮津高校に進学した。
高校入学直後に中学時代から割れていた
膝の皿を手術。リハビリを行い2年時にようやく走れるようになる。
2年の春先の練習試合で復帰登板を果たすが一人
に投げ終えた所ですぐに肩の痛みを発症し降板。今度は肩を手術することとなり、その後医師の許可
が降りた3年春からようやく復帰。実質3年時の4ヵ月しかプレーしていなかったが、投手
として阪神のスカウトからも注目される]。それでもドラフト会議での指名が確実ではなかった
ことから4年後を見据え、近畿大学に進学した。近大野球部では、1年秋から先発を務めていた同学年で エースの野村宏之や、1学年下の貴志款八(その後日本新薬) の陰に隠れ、3年時の2002年春まで関西学生野球連盟の
リーグ戦出場がなかった。
しかし同年の秋季リーグでデビューを果たすと、4年時 の春季リーグではエースとして2度の完封勝利を含む 5連勝(無敗)の大活躍でリーグMVP・最優秀投手・
ベストナインの三冠に輝いた。
大学通算成績は19試合に登板、9勝2敗、防御率
1.49であった。同期には田中雅彦や中村真人らがいる。
2003年11月19日に行われたプロ野球ドラフト会議 で北海道日本ハムファイターズに自由獲得枠で指名
され入団。背番号は26。
糸井嘉男選手の特徴
糸井嘉男選手は2004年に日本ハムの自由枠
で投手として入団しました。
二年間は二軍で一軍に上がる事はなく
成績も防御率4.86と活躍は出来ませんでした。
2006年は高田GMのアドバイスで野手に転向
し二軍ですが、好成績を残します。
野手に転向の背景にはクイックモーション が出来ず、イップスになるという信じられ
ない実話があります。
2007、2008年は怪我もあり一軍では目立つ
成績は残せませんでした。
2009年にはブレークしベストナインと
ゴールデングラブを獲得します。
2013年にはオリックスにトレードに出され ますが、日本ハムのチームメイト・ファン
からは信じられないとの声があがりました。
2017年には阪神にFAで移籍し今も主軸として
活躍しています。
主なタイトルは下記の通りです。
・首位打者(2014) ・盗塁王(2016) ・最高出塁率(2011、2012、2014) ・ベストナイン 5回
・ゴールデングラブ 7回
糸井嘉男選手の特徴はやはり恵まれた体で 父はトライアスロンの選手、母はバレー
ボールの国体選手と血筋が与えた物です。
打撃 豪快なイメージがありますが、実は選球眼が
良く出塁率は常に高いタイプです。
本来なら1番バッターが糸井嘉男選手の 得意なポジションですが、チーム事情で
クリーンアップをまかされています。
守備 守備はとにかく守備範囲が広く特に
後ろの打球処理には定評があります。
ただ、エラーが多いのですが原因は 守備範囲が広いので、エラーになって
しまうケースとポカが多い点です。
糸井嘉男選手のポカはキャラのせいか そんなに責められない他の選手が
うらやむ特技を持っています。
・走塁 2016年に35歳以上で50盗塁を達成し
盗塁王になります。
この記録は阪急の福元豊さん依頼の
台記録になります。
現状は長打率を上げる為に肉体改造 しましたので、盗塁を試みる事は ありませんが、走塁に対しての
センスは落ちていません。
糸井嘉男選手のこれから
ライトスタンドへ1直線!4番糸井、同点ホームラン!!! #hanshin #虎テレ pic.twitter.com/9OZTKDRMCq
— 阪神タイガース (@TigersDreamlink) September 12, 2018
糸井嘉男選手は今年もホークスの柳田 選手と自主トレをしてさらに筋力アップ
をしています。
かなり年下の柳田選手のアドバイスにも 聞き入れる懐の深さもあるので今年も
いけそうな感じがします。
糸井嘉男選手に望む事はけがをしないで 欲しい事だけで、若手がもう少し 頑張って昨年より休ませてあげて欲しい
と思います。
勝利インタビューでの天然な受け答えを
多く聞ければ優勝でしょう。
開幕の髪型はどんな風になるかも
楽しみです!
–スポーツ