9月9日、東海道線ののぼりのみ運転が再開されましたが30分に1本程度の間隔で混雑しています。
その関係で、入場規制がかかったようです。
くだりにかんしては運転のめどがたっていないようです。
JR午前11時半までに全線で運転が再開 ☆中央線の快速 ☆京浜東北・根岸線 ☆常磐線
☆横浜線
JR一部の区間、運転再開 ☆東海道線 ☆横須賀線 ☆武蔵野線
☆鶴見線
午後5時ごろにかけて運休 ☆湘南新宿ラインの全線
☆上野東京ラインの上野・東京間
運転再開のめどがたたない ☆横須賀線の逗子と久里浜の間
☆鶴見線の浜川崎と扇町の間
状況は変化しますので、JR東日本のホームぺージで確認して下さい。
辻堂駅は入場規制かかりましたー。上り線だけ動いてるらしいけど来るかなぁ。 pic.twitter.com/dN64tGaMRJ
— 志乃々目 (@olive1growingup) September 9, 2019
辻堂駅、入場規制!の反応
辻堂駅
何か足りない… pic.twitter.com/fTYT3wb2jj— やっさん (@yasukoco) September 8, 2019
JR辻堂駅の南側。2Fデッキから下に落ちた柵は端に寄せてあったよ。
2F耳鼻科→1F薬局で処方箋。どちらも通常営業していました。 pic.twitter.com/5vDreGR0PV— 鈴野麻衣 (@MaiSuzno) September 9, 2019
wow!看板が、、
辻堂駅もなかなかやばいねえ… pic.twitter.com/ESwQE7kvUw— yui takeuchi (@takeyui0110) September 9, 2019
さて、動き出したかねーと思い急ぐつもりもありませんが辻堂駅にきてみました。ホーム入れませんでした。駅周りには行き場をなくしたサラリーマンが溢れてます。 pic.twitter.com/EaseCrzn9p
— みーこ (@tsujidou) September 9, 2019
ここが壁サークル辻堂駅ですか… pic.twitter.com/rmGIWHMXje
— 新宿三丁目 (@metro_Hibiya07) September 9, 2019
地元の友人が電車が動き始めたというので駅に来てみたけれど、30分おきくらいに1本な感じ。午後も間に合いそうにない。#辻堂駅 #東海道線 pic.twitter.com/gaeFUWCqt4
— みやっち (@miyach23) September 9, 2019
辻堂駅、列は延びるばかり。こりゃ平塚、茅ヶ崎もすごいだろうから乗れないかなぁ。 pic.twitter.com/z8pwax4owe
— takashi aihara (@takac0205) September 9, 2019
辻堂駅ゲート開く!上りのみ運転再開だそうよ。
私は下り電車に乗りたいんだけど。。。😢#東海道線 pic.twitter.com/LQWzhzrpWw
— いっし~ (@ishichan615) September 9, 2019
もう会社休もうよ…
企業は社員の方を、もっと思いやろうね…#辻堂駅 pic.twitter.com/Ovfb0wH5U9— 絶宇好「ぜうす」@マイホ変更。 (@zeuszeus777) September 9, 2019
辻堂駅とは
辻堂駅(つじどうえき)
2018年(平成30年)度の1日平均乗車人員は59,425人であり、JR東日本全体では本八幡駅に次いで第81位。
東海道線内の快速「アクティー」通過駅では最も多く、長らく4万人台で推移していたが、2011年のテラスモール湘南オープンによって5万人を超え、2016年からは隣駅で「アクティー」停車駅の茅ケ崎駅も上回っています。
東京駅発着系統と、新宿駅経由で高崎線に直通する湘南新宿ライン、東京駅・上野駅経由で宇都宮線・高崎線に直通する上野東京ラインが停車します。
☆所在地 神奈川県藤沢市辻堂一丁目1-1 ☆所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本) ☆所属路線 ■東海道本線 ☆キロ程 54.8km(東京起点) ☆駅構造 地上駅(橋上駅) ☆ホーム 1面2線 ☆乗車人員 -統計年度- 59,425人/日(降車客含まず) -2018年- ☆開業年月日
1916年(大正5年)12月1日
発車メロディ
2016年12月1日から、作詞家の林古渓が幼い頃に辻堂東海岸を歩いた時の記憶を元にして作ったといわれる童謡の「浜辺の歌」が発車メロディとして使用されています。
これは、地元の有志らで作られた「辻堂駅開設100周年事業実行委員会」による同駅の100周年記念事業の一環として行われたもので、2015年4月から始めた実現に向けた署名活動には、同年11月までに約2万7000人分もの署名が集まりました。
メロディの制作はスイッチで、編曲は塩塚博が手掛けました。