昨年5月に亡くなった歌手・西城秀樹さん(享年63)のフィルムコンサート&写真展『HIDEKI SAIJO FILM CONCERT 2019 THE48』が14日、東京・豊洲PITで開催された。
同イベントは「秀樹さんへの想いをみんなで分かち合いたい」と願うファンの声に応えたもの。フィルムコンサートでは、1991年開催のデビュー20周年記念コンサート『HIDEKI SAIJO CONCERT TOUR ‘91 -FRONTIER ROAD-』、西城さんの39歳記念コンサートを2部構成で上映。来場したファンたちは、往年の熱き歌声やパフォーマンスを大音量・大画面の迫力で楽しんだ。
また、会場ロビーには、数々の音楽賞で獲得したトロフィーや、コンサート衣装、本人の愛用品などを展示。来場した都内在住の50代女性は「貴重なものばかりで来てよかった。こうした場を設けて頂いて、とても幸せです」と笑顔を浮かべていた。
14日から17日まで同所で開催される。
愛媛・西条で西城秀樹さん一周忌
行事が行われます。
西城秀樹さんの一周忌となる16日、愛媛県西条市は紺屋町商店街で西城さんの楽曲を終日流して追悼する。
午前9時半から午後7時まで「傷だらけのローラ」や「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」など往年のヒット曲でスターをしのぶ。
西条市のことが好きな人でつくるコミュニティー「LOVE SAIJOファンクラブ」の会員で、西城さんのファンでもある女性から「『さいじょう』つながりでコラボできないか」と市に提案があり実現した。
市シティプロモーション推進課は「『今を大切に、今を楽しく生きる』という西城さんのモットーのように、明るく楽しい一日にしたい」と参加を呼びかけている。
紹介した以外でも多数の追悼行事は
各地で行われる予定です。
西城秀樹追悼番組
1972年3月に「恋する季節」でデビューした後、「激しい恋」「傷だらけのローラ」「ヤングマン(Y.M.C.A.)」など数々のヒット曲を送り出し、日本の音楽シーン、エンターテインメントに多大なる影響を与えた西城秀樹。彼が63歳という若さで早すぎる生涯を閉じてから1年の月日が経とうとしている。
WOWOWでは彼の命日にあたる5月16日に「一周忌追悼 西城秀樹『YOUNG MANよ永遠に』」と題し3番組を特集。
20歳のヒデキの一挙手一投足を捉えた音楽ドキュメンタリーや、1986年に公開された主演映画、2000年に行われたコンサートの模様と、彼の情熱と偉大さを一挙に感じることができる。
いつになっても昭和が生んだスーパースターを忘れることは出来ない。
5月16日(木) よる6:30 WOWOWライブ「ブロウアップ ヒデキ」
当時20歳のヒデキが1975年に行った全国ツアー“西城秀樹・全国縦断サマーフェスティバル”に密着した貴重な音楽ドキュメンタリー。アイドル時代の絶頂期とも言える1975年の全国ツアーを追いかけた貴重な音楽ドキュメンタリー。
クレーン車で吊り上げたゴンドラでの絶唱、ヘリでの客席上空すれすれの旋回など、21世紀の現在では実現不可能だろう富士山麓特設野外ステージでの開幕公演の模様を始め、当時20歳の“ヒデキ”の素顔や本音を収めたインタビュー、バックステージの模様、そして「愛の十字架」「激しい恋」などのヒット曲が、熱狂するファンの姿とともに映し出される。
5月16日(木) よる8:00 WOWOWライブ「西城秀樹ライブ 〜バイラモス2000〜」
80枚目のシングル『Bailamos』を冠して2000年3月に行われたスペシャル・コンサート。西城秀樹のベスト・ライブと呼び声が高い一夜限りのライブをおくる。
「Bailmos」はエンリケ・イグレシアスのカバーということもあり、ライブはソウルやファンク・ナンバーからスタートし、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」「ギャランドゥ」「激しい恋」「ブーメランストリート」「傷だらけのローラ」と、誰もが知る偉大なヒット曲が繰り出される。
さらには“コンサートであまり歌っていなかった”と語る名曲「愛の十字架」も披露されるなど、充実した選曲となっている。
ライブ映像の他に2000年4月に発売されたシングル「Love Torture」の制作課程やプロモーションに打ち込む姿など貴重な映像も紹介する。
5月16日(木) よる10:00 WOWOWライブ映画「傷だらけの勲章」
西城秀樹が1986年に主演したハードアクション映画。西城が演じる刑事は、エジプトで起きた大企業の社長暗殺事件の謎に迫る。
かつては国民的アイドルであり、若者役を得意とした西城が、本作では後ろ姿のオールヌード姿を見せたり、共演の朝加真由美を相手にベッドシーンを演じたりと、大人の俳優への脱皮に挑んだかのような野心作。ピラミッドやスフィンクスがあるエジプト、東南アジアのシンガポールで海外ロケを敢行した、スケールの大きさも見どころ。
2019年3月の時点でVHS以外のソフト未発売である貴重作だ。
西城秀樹を支えた奥様
西城秀樹さんと美紀さんのなりそめから
紹介します。
秀樹と美紀さんが出会ったのは、美紀さんが、大阪のコンサルタント会社に就職して5年目のことだった。
下水道の設計を担当し、作業服やヘルメットでマンホールの中に入ることにも慣れてきたその年の秋、突然、父親に大阪にあるステーキハウスに連れて行かれた。
そこで出会ったのが、当時、ドラマの撮影でたびたび大阪に足を運んでいた秀樹だった。
美紀さんの父親は、そのステーキハウスを経営する秀樹の姉と親しかったこともあり、秀樹と美紀さんの知らないうちに“お見合い”が設定されていたのだ。
45才のスターと28才のOLは、初対面ながら、年齢や生活環境の違いを感じさせないほど打ち解けた。
初めてふたりきりで食事をする日。秀樹は美紀さんを家まで送るため、車を準備していた。ところが「送っていくよ」という申し出を美紀さんは断り、乗ってきた自転車で、颯爽と帰って行ってしまうのだ。
その後もデートを重ね、出会いから約3か月後の2000年のクリスマスイブ、秀樹は美紀さんにこう告げた。
「きみと一緒に住みたい」
さらに続ける。「西城秀樹の妻じゃない。(本名の)木本龍雄の妻になってほしいんだ」
ふたりは2001年5月7日に入籍し、6月30日に伊豆下田(静岡県)の白浜神社で結婚式を挙げた。
https://www.news-postseven.com 引用
新婚生活の真っただ中の2001年秋、小さな異変が起こる。
病院へ行き検査を受けると緊急入院を余儀なくされた。
病名は、脳梗塞。思わぬ宣告に驚愕したが、このときは1週間ほどの入院で事なきを得た。
病名は対外的には「二次性多血症」と発表。“再発はない”そう思っていたからこその判断だった。
さらにこの頃、美紀さんは長女を身ごもっていた。その年、秀樹は47才でパパになった。
しかし、再発は起きた。2度目の脳梗塞が秀樹を襲ったのは2003年6月。
韓国・済州島に滞在中のことだった。秀樹の症状は一度目のときとは比べものにならないほど重く、隠し通すことはできなかった。
10日間の入院を終えて自宅に戻ると、秀樹はリハビリと同時に、8月半ばから1か月半続く公演のリハーサルを開始した。
美紀さんと秀樹の二人三脚の闘病はここから始まった。
新婚間もない上に、乳幼児2人を抱えて。美紀さんは明るく振る舞い、秀樹の食事のメニューを改善しながら、子供用の食事も作る。まるで3人の母になったような奮闘ぶりだった。
西城秀樹さんは長い闘病生活を送ら れましたが献身的に支えてくれた美 紀さんには天国から感謝されている
事でしょう。
–芸能