奥克彦、ウェークアップ!ぷらすで話題に!ラグビーW杯招致の立役者、外交官奥克彦! | サイネタ

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9月21日、ウェークアップ!ぷらすで「ラグビーW杯招致の立役者、外交官奥克彦」日本を想い、イラクを翔けた男の思いの特集が放送され話題になっています。

奥克彦さんは外務省入省後、オックスフォード大学(英国・ロンドン)で2年間の研修生活を送りオックスフォード大ラグビークラブで1軍の公式戦に出場した初の日本人になりました。

その後、外交官として世界中を飛び回る間にも培った人脈を生かし、協会の国際委員を務めるなど心にはいつも日本ラグビーへの愛がありました。

奥克彦さんは元総理・森喜朗のもとへ何度も通い、W杯日本開催への夢を訴えていたそうです。

あす9月21日(土)8時~#ウェークアップ!ぷらすは

台風17号が3連休に列島へ。沖縄から最新情報▽原発処理水を「海へ」批判覚悟の発言で広がる波紋▽ラグビーW杯。日本は開幕戦ロシアに快勝!▽特集は「W杯招致の立役者、外交官奥克彦」日本を想い、イラクを翔けた男の思いとは#ntv #ytv pic.twitter.com/oNZcrUJ3Zg

— ウェークアップ!ぷらす公式 (@ytvwakeup) September 20, 2019

奥克彦、ウェークアップ!ぷらすで話題に!の反応

奥克彦さんも絶対喜んでる
思いっきり死力を尽くして戦った相手とも試合後は抱き合う。ノーサイドって素敵ですね。今のアメリカとの関係が正にノーサイド。オリンピックの前にラグビーを連れてきてくれて、ありがとう https://t.co/lZythKkjO8

— へそが茶碗 (@s_y3A8y_s) September 21, 2019

ラグビーW杯を夢に見てた外交官の奥克彦さん、内の嫁が宝塚中学校の同級生で、嫁が言うにはめちゃ頭がよくスポーツマンで優しくてめちゃもててた、ラグビーW杯を日本で、夢がかなって良かったな~ウヒハ。

— kanpei (@kanpeitter) September 21, 2019

ウェークアップ!ぷらす。イラクで亡くなった奥克彦大使のVTR、よかったな。

母校ケンイタの背の高い木を、奥大使の生涯になぞらえたファイナルカット、グッときた。#ウェークアップ #ラグビーW杯2019 #奥克彦

— 植竹英次 (@uetakemail) September 21, 2019

文武両道という言葉がピタリと当てはまる人間が奥克彦という外交官だったなとつくづく感心したしこんな人が亡くなったことは本当に日本にとって大損失で、本当にかけがえのない人物を失ったと思うと本当に残念で仕方がない。生きていたらこういう人に総理大臣になってもらいたかった。本当に残念だ。

— 平山泰斗 (@taito8) September 21, 2019

テレビで奥克彦大使の特集を見た。自分をちっぽけに感じた。もっと出来るぞ自分!!やるべきことはたくさんある。

— HIDENAO (@NaohideYasuda) September 21, 2019

イラクでテロリストにより殺害された外交官・故奥克彦さんが、世界中を駆け回りながら日本でのラグビーW杯開催を夢見た事が紹介されています。

奥克彦とは

奥克彦大使とはイラクで共に汗を流した仲間。毎年、11月の命日にはお墓まいりを継続。まさに自衛隊と外務省との連携に議論を交わしました。 https://t.co/8Y4W8GElrg

— 佐藤まさひさ (@SatoMasahisa) September 21, 2019

奥 克彦(おく かつひこ)

経歴 ☆1958年(昭和33年)1月3日、兵庫県宝塚市に生まれる。 ☆1973年 宝塚市立宝塚中学校卒業。 ☆1976年 兵庫県立伊丹高等学校卒業。 ☆1981年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(外務公務員採用上級試験に合格)。 ☆1981年4月 外務省に入省。 ☆1982年 英語研修(在イギリス日本国大使館外交官補として、オックスフォード大学ハートフォード・カレッジにて在外研修) ラグビー部に所属し、レギュラーとして活躍。 ☆1985年 関東ラグビーフットボール協会ツアーコミッティ委員 大臣官房 アジア局南西アジア課 情報調査局安全保障政策室 ☆1990年8月より、在イラン大使館二等書記官 在米国大使館一等書記官 在外公館課首席事務官 会計課首席事務官 北米局日米協力推進室長兼経済局アジア欧州協力室長 経済局国際経済第一課長 総合外交政策局国連政策課長等を歴任。 ☆1996年 日本ラグビーフットボール協会国際委員会委員 ☆1999年 日本ラグビーフットボール協会総務委員会委員 ☆2001年10月より、在イギリス日本大使館参事官。 ☆2001年12月 田中眞紀子外務大臣により懲戒戒告処分(給与20%1カ月分自主返納)。 ☆2003年4月 米国が復興人道支援室 (ORHA) を設立した直後からイラクに長期出張。復興人道支援室(5月に連合暫定施政当局 に改編)と日本政府とのパイプ役を務め、日本のイラク復興支援の先頭に立って活動。 ☆2003年11月29日 井ノ上正盛三等書記官と共に北部イラク支援会議に出席するため、ティクリート(イラク北部)に四輪駆動の軽防弾車で向かう途上を銃撃され殉職(イラク日本人外交官射殺事件)。享年45。同日付で、従四位に叙され、旭日中綬章授与。大使の称号付与。

☆2003年12月6日 青山葬儀所で奥家・井ノ上家・外務省合同葬がとりおこなわれ、小泉純一郎総理大臣以下、総理大臣経験者、現職大臣、また各国大使などが参列した。

人物 ☆小中学時代は野球、高校以降はラグビーに打ち込むかたわら、学業にも励む。 ☆兵庫県立伊丹高校2年生の時に第54回全国高等学校ラグビーフットボール大会(於 東大阪花園ラグビー場)に出場。3年生ではキャプテンとして活躍した。 ☆早稲田大学政治経済学部政治学科の2年生までラグビー部に在籍。その時、宿沢広朗に指導を受ける。1978年8月(20歳)、公務員試験(外交官志望)に備えるためにラグビーを退部。本人は退部したことを後々まで悔やんでいたという(『ラグビーマガジン』2004年2月号 奥大使追悼特集記事)。 ☆研修留学したオックスフォード大では、日本人として初めてのレギュラー選手(ウィング)として活躍。 ☆英国で120年以上の歴史を持つ英国伝統の会員制紳士クラブ「ギャリック・クラブ」(ロンドン市内)における日本人初の会員となった。 同クラブでは2003年12月8日 奥をしのぶ会が開かれた。主催したのは、オックスフォード大で奥と共にラグビーをプレイしたレッジ・クラーク(英政界第3党・自民党幹部職員、45歳)。 ☆日本ラグビーフットボール協会員。

☆2003年、イラクへ赴任。

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