ケーシー高峰さんが、本日の3時に
お亡くなりになられました。
医療漫談で知られる漫談家のケーシー高峰 (たかみね、本名門脇貞夫)さんが8日 肺気腫のため福島県いわき市 の入院先で死去していたことが9日、
分かった。
85歳。山形県出身。葬儀は家族葬で行う。 所属事務所によると、約1年前から肺気腫を 患っており、昨年9月から療養のため、仕事を
全てキャンセルして休業した。
静養していたがいっこうに良くならず、今年 2月頃に容体が悪化して入院した。2月初旬には
、電話でしっかりした声を聞かせていたという。
最後の仕事は昨年9月に収録したBS朝日
「お笑い演芸館+」だった。
ケーシーさんは1934年2月25日生まれ。
日本大学医学部から芸術学部に転部して卒業。
リーガル天才・秀才に入門した。芸名は医療ドラマ 「ベン・ケーシー」から。60年代からお色気ネタを
交えた医療漫談でブレーク。
テレビ朝日系「エプロン寄席」、テレビ東京系 「おいろけ寄席」の司会を担当した。
白衣姿で黒板のスタイルはよく知られている。
70年代からは俳優としても活躍。カンヌ国際映画祭 パルムドール受賞作「楢山節考」、「男はつらいよ」 シリーズ、ドラマ「夢千代日記」などで印象的
な演技を見せた。
病との付き合いは長く、2003年には腰部脊柱管狭さく症
2005年には舌がんで、30針を縫う手術を受けていました。
今回の死因は肺気腫で、ケーシー高峰さんはヘビースモー
カーでしたので、その影響もでたのかもしてません。
ちなみに肺気腫は、酸素と二酸化炭素の交換を行う肺胞の 組織が壊れ、肺にたまった空気を押し出せなくなる病気
で、完治は難しい病気です。
半世紀に渡り、お色気医療漫談や俳優などで活躍され
マルチタレントの草分けでした。
それでは、ケーシー高峰さんの経歴を紹介しましょう。
目次
ケーシー高峰の経歴
ケーシー高峰(けーしーたかみね) ・本名:門脇 貞男 ・ニックネーム:ドクター ・生年月日:1934年2月25日) ・出身地:山形県最上郡最上町 ・身長:174cm
・最終学歴:日本大学芸術学部
ケーシー高峰さんの母方は医師の家系
であり母親は産婦人科の医師でした。
ケーシー高峰さんも家業を継ぐべく日本大 学医学部に進学するものの、教授との折り 合いが悪く、芸術学部に転部してそのまま
卒業します。
同級生には宍戸錠さんがいました。
1957年には漫才コンビ大空はすか・かなた
を結成しデビューします。
1968年にはケーシー高峰に名前を変更し
お色気医事漫談を始めます。
もともと医師志望で、医療関係に詳しい事で それにエロネタや「セニョリータ」 「グラッチェ」など怪しげなラテン系単語
を使い、人気者になります。
運転免許更新のビデオにも出演していました が、あまりにもふざけていた為に問題に
なった事もあります。
1981年に夢千代日記ではシリアスな演技を
展開し高い評価を受けました。
2005年に舌癌になりますが、療養中でしゃべれない 状況で、黒板と身振りだけで漫談を行い、周りの
芸人を驚かせる程うけたようです。
ケーシー高峰の芸能活動
それではケーシー高峰さんの出演作を
紹介しましょう。
映画 コント55号水前寺清子の大勝負(1970年、松竹) 喜劇 冠婚葬祭入門(1970年、松竹) 起きて転んでまた起きて(1971年、東宝) 冠婚葬祭入門 新婚心得の巻(1971年、松竹) めまい(1971年、松竹) 喜劇 大泥棒(1971年、松竹) 喜劇 いじわる大障害(1971年、ダイニチ映配) 喜劇 怪談旅行(1972年、松竹) 快感旅行(1972年、松竹) 江戸艶笑夜話 蛸と赤貝(1974年、日活) 十六歳の戦争(1974年) 愛のなぎさ(1976年、東宝) バカ政ホラ政トッパ政(1976年、東映) 春男の翔んだ空(1977年) はだしのゲン 涙の爆発(1977年、共同映画全国系列会議) ワニと鸚鵡とおっとせい(1977年、松竹) ダイナマイトどんどん(1978年、東映) 茗荷村見聞記(1979年、東映=東映セントラルフィルム) ヒロシマのたたかい はだしのゲン PART3(1980年) 遠雷(1981年、ATG) 素人助役奮闘記(1982年、にんじんくらぶ) 次郎長青春篇 つっぱり清水港(1982年、松竹) 楢山節考(1983年、東映) エル・オー・ヴィ・愛・N・G(1983年、東宝) ションベン・ライダー(1983年) 俺っちのウエディング(1983年、松竹) おしん(1984年) それぞれの旅立ち(1985年、東宝東和) ペンギンズ・メモリー 幸福物語(1985年) やがて…春(1986年、にっかつ児童映画) 片翼だけの天使(1986年) 瀬戸内少年野球団・青春篇 最後の楽園 (1987年、日本ヘラルド) 塀の中の懲りない面々(1987年、松竹) ドン松五郎の大冒険(1987年、東宝東和) 街は虹いろ子ども色(1987年、共同映画) 郷愁(1988年、ATG) 恋はいつもアマンドピンク(1988年、松竹) 丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!! (1990年、松竹富士) 遥かなる甲子園(1990年、東宝) 息子(1991年、松竹、監督:山田洋次) プロゴルファー織部金次郎2 パーでいいんだ (1994年、東映アストロ) プロゴルファー織部金次郎3 飛べバーディー (1995年、東映アストロ) プロゴルファー織部金次郎4 シャンクシャンクシャンク (1997年、東映) プロゴルファー織部金次郎5 愛しのロストボール (1998年、東映) 学校 III(1998年、松竹、監督:山田洋次) 木更津キャッツアイ 日本シリーズ KISARAZU CAT’S EYE(2003年、アスミックエース) 石井のおとうさんありがとう(2004年、 現代ぷろだくしょん)
新・あつい壁(2007年、中山映画、監督:中山節夫)
この他にもドラマ・CMなど多くの作品に
出演されています。
ケーシー高峰のまとめ
ケーシー高峰さんの人生は病気との 闘いがありましたが、つらさをみせず に人を笑いに導く事が出来るハートの
強い芸人さんでした。
このような芸人さんが、あらわれる事は
二度とないでしょう。
ケーシー高峰さんのご冥福をお祈り
します。
–芸能