国際政治学者の三浦瑠麗さんがの初めての自伝『孤独の意味も、女であることの味わいも』が話題になっています。
ただのサクセスストーリーではなく、孤独だったこと、傷ついたこともこの本の中で紹介されています。
こんやのKyobizX。ゲストは国際政治学者の三浦瑠麗さんでした。ご著書の「孤独の意味も女であることの味わいも」は本当に衝撃的な内容で三浦さんの全てがさらけだされていますが、生きる力がわいてきます。ぜひお読みください。オススメです!#三浦瑠麗 #孤独の意味も女であることの味わいも #kyobizx pic.twitter.com/tJlMMZ0b6k
— 竹内弘一 (@takeuchi_koichi) 2019年6月7日
目次
三浦瑠麗の経歴
三浦瑠麗(みうら るり)
・生年月日 1980年10月3日 ・出身地 神奈川県茅ヶ崎市 ・出身校 東京大学 ・身長 不明 ・配偶者 三浦清志 ・研究分野 国際政治学 比較政治学 ・博士課程指導教員 藤原帰一 ・学位 博士(法学) ・特筆すべき概念 リベラリズム 現実主義 ・主要な作品
『シビリアンの戦争―デモクラシーが攻撃的になるとき』
三浦瑠麗さんは2016年の僕ら時代に出演で最初のおこさんを亡くした時が一番つらかったと話しておられます。
夫は東京大学の先輩で、投資ファンド代表、元外務省職員。娘が1人いる。
幼少期は児童文学から若草物語などの少女もの、円地文子や幸田文ら女流作家、源氏物語や蜻蛉日記など日本の古典文学を読み漁る。
学生時代は集団行動に馴染めず、高校進学後も授業に出ずに鎌倉や江の島へ行くことが多かったという。
東京大学教養学部理科I類ではクラス50人中女子は2人しかいなかったため、男子学生とは話も合わず試験プリントが回ってこないこともあり、自然とキャンパスから足が遠のいていったという。
その後、地球環境問題を学ぶために農学部地域環境工学専修を専攻。
しかし、想像していた勉強と違っていたため進路を考えるために留年。
他学部の授業を受けているうちに船橋洋一ゼミで政治学に関心を持ち、文系に転身して公共政策学教育部専門職学位課程に1期生として入学。
その頃に始まったイラク戦争で、アメリカの軍人たちが反対していたことに興味を持ち、博士論文でシビリアンコントロールの研究を始める。
2015年元日の『ニッポンのジレンマ』パネリスト依頼を皮切りに、様々な討論番組へ出演している。
議論について三浦は「日本に存在する『ハイ論破!』という文化は有害」「はい論破!という雰囲気が左右両方にあるのはわるいこと。論破なんかできるわけがない。自分の議論を示しつつ相手の議論の不備や死角を指摘できるだけ。昔は保守はそれがわかってて閉じこもりリベラルの方が教化を目指してたけど、最近両方憎しみで目が曇ってる感あり」「官僚が使う言葉を借りれば『議論するときは同期』という姿勢こそが正しい」と述べている
。米国ジャーマン・マーシャル財団(英語版)研究員(当時)のジョシュア・W・ウォーカーと共同で東日本大震災に関する論文を発表している。
レギュラー番組の中で「日常生活では『S』だと思われがちだがプライベートでは『Mっ気』がある」と語っている。
三浦瑠麗の自伝の内容
友人が出演する演劇やコンサートで、あまりに感情が揺さぶられたときは楽屋への挨拶をせず、そのまま帰りたい衝動に駆られることがある。すぐには感想を言語化できないし、自分の陳腐な言葉で作品を汚してしまう気がするから。この本が、まさにそれ。#三浦瑠麗#孤独の意味も女であることの味わいも pic.twitter.com/rLjnHjbQz3
— 乙武 洋匡@義足プロジェクト (@h_ototake) 2019年6月6日
三浦瑠麗さんは14歳の頃、レイプ被害にあわれています。
性犯罪で意見表明のツイートが炎上した時もこの事は公表されませんでした。
今回の自伝で、なぜ公表されたのかについて、理由を話されています。
「レイプは魂の殺人なんだ。だから一生、苦しむものだ」と洗脳するような、脅迫的な接し方では、被害者を救うことはできません。
魂の殺人だと思っていいし、私もそう思い込んで消えてしまいたかった時期もあります。
でも、それは社会の通念や価値観をそのまま受け入れていたからでもあるし、そのときに理解してくれる人が現れなかったからでもあるんです。
その後の人生を通して、処女性なんていうものには、何の価値もなかったのだとわかりましたから。
そもそも「汚れる」って一体なんなんだろうと。
私は、理解ある夫を得たという点では恵まれていたかもしれません。
そして「強くなる」ことができた。
でも、それは私が自分の受けとめた物事から目をそらさない生き方を選んだからであって、はじめから強かったわけではありません。
私が経てきた道程は、けっして私ひとりのものではなく、多くの女性の道程と重なる部分もあるはずだと思っています。
つらさの連鎖や、世代を越えた継承ではなくて、つらさの克服や愛の継承が必要なのではないでしょうか。
最終的に幸せになっていくんだよ、という人生観をあのとき私に与えてくれる人がいたとしたら、もう少し、生きやすくなったんじゃないかな。
それが、あのときの私や娘や、いま十代を過ごしている女の子や、これから生まれてくる子たちに、時を超えて届けたかったことです。
三浦瑠麗のこれから
三浦瑠麗さんのテレビでのコメントは、分かりやすく参考になる事が多いです。
この自伝を出された事でファンは増えるのではないかと思います。