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大川小訴訟、宮城県と石巻市の賠償確定!動画アリ!東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲!

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10月11日、東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校(閉校)を巡り、児童23人の遺族が市と県に約23億円の賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は10日付で市と県の上告を棄却する決定を下し、石巻市と宮城県に約14億円の賠償が確定しました。

大川小訴訟、宮城県と石巻市の賠償確定!の反応

大川小は石巻市の東部、北上川の川べりから約200メートルに位置していた。11年3月11日午後2時46分の地震後、児童らは午後3時半ごろまで校庭にとどまった後、校舎よりも川に近い交差点付近「三角地帯」に向かう途中で被災しました。

学校から約700メートル離れた標高約20メートルの高台を避難場所としてマニュアルに記載し、避難経路や避難方法も示していれば、津波によって児童が死亡する結果は回避できたと指摘、校長らはマニュアルの不備を改定せず、市教委も不備を是正する指導をしなかったとして、組織的な過失を認める判決になりました。

大川小とは


石巻市立大川小学校(いしのまきしりつ おおかわしょうがっこう)

東日本大震災
2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波が本震発生後およそ50分経った15時36分頃、三陸海岸・追波湾の湾奥にある新北上川(追波川)を遡上し、この結果、河口から約5kmの距離にある学校を襲い、校庭にいた児童78名中74名と、教職員13名中、校内にいた11名のうち10名が死亡しました。スクールバスの運転手も死亡しています。

学校の管理下にある子どもが犠牲になった事件・事故としては戦後最悪の惨事となりました。

地震後の学校の対応
教職員の間では、裏山へ逃げるという意見と、校庭にとどまり続けるという意見が対立し、避難所でもある小学校にすでに避難してきていた老人がいることから、裏山ではなく、約200m西側にある周囲の堤防より小高くなっていた新北上大橋のたもと(三角地帯)へ避難するという案も上がりました。

市教委の報告書によれば「教頭は『山に上がらせてくれ』と言ったが、釜谷(地区の)区長さんは『ここまで来るはずがないから、三角地帯に行こう』と言って、喧嘩みたいに揉めていた」と記録されています。

この議論の間、20家族ほどの保護者が児童を迎えに来て、名簿に名前を書き帰宅しましたが、大津波警報が出ていることを報告した親もいました。

教師たちは「学校のほうが安全」「帰らないように」「逃げないほうがいい」などと言い、逆に保護者達を引き留めたそうで、実際に引き留めに応じた母親(津波により死亡)が、15時29分に「子どもと学校にいます。」と夫に向けてメールを送っています。

また、山に逃げたものの連れ戻された児童らが、「津波が来るから山へ逃げよう」「地割れが起きる」「ここにいたら死ぬ」と教師に泣きながら訴えている光景が、このときの保護者達により目撃されています。

現場は、集団パニック状態かそれに近い状態であり、様々な情報や意見が行き交う中で、正しい判断を行うことが困難な状況であったことが推測されます。

最終的に三角地帯に避難することになり、教職員と児童らは地震発生から40分以上たってから移動を開始しました。

防災無線は「海岸線や河川には近づかないでください」と呼びかけており、このときすでに、町の側溝からは水が噴き出し、堤防からは水があふれ始めていました。

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