横山たかし入院!画像、たかしひろし動画あり!腸腰筋膿瘍で死去。 | サイネタ

芸能

6月1日、ほら吹き漫才の横山たかしさんが死去されました。

横山たかしさんは故横山やすしさんの弟子でした。

昨年の1月に腸腰筋膿瘍(ちょうようきんのうよう)の手術をされ5月に復帰しました。

ところが、腰の痛みが再発し再度、入院をする事になりました。

昨年12月24日、大阪・阿倍野でのイベントが、最後の出演になりました。

目次

横山たかしとは

ほら吹き漫才で一世風靡した横山たかしさんはどのような方か紹介します。

横山たかし(よこやま たかし)

・本名 山高 考 ・生年月日 1948年10月6日 ・結成年 1968年 ・事務所 松竹芸能 ・活動時期 1968年 – ・師匠 横山やすし

正司玲児

プロフィール
横山たかし(よこやま- 、1948年(昭和23年)10月6日 -2019年(令和元年)6月1日ボケ担当、愛媛県伊予郡松前町出身。本名・山高 考(やまたか たかし)。

横山たかしの名は三代目。初代は横山プリン、二代目はレツゴー正児。

横山ひろし(よこやま- 、1947年(昭和22年)1月19日 – )ツッコミ担当、愛媛県越智郡波方町(当時:現今治市)出身。本名・小林 秀光(こばやし ひでみつ)。

妻は松竹芸能の後輩にあたる漫才師の春けいこ。

横山やすしとの関係
コンビ結成当初は師匠と同じ吉本興業所属。

横山やすしによる弟子へのに揮う非人道的な暴力を周囲が見兼ね、やすしから弟子を遠ざけるべきだと取り計らい、正司玲児が弟分に引き取る形で、松竹芸能に円満移籍させた。

殴られるのは常にたかしで、「弟子に付いた間に千発(番組によっては1万発とも)位はドツかれた」「命の危険を感じた事もあった」と語っている。

玲児の葬儀では2人で弔辞を読んだ。

そのたかしは、激昂したやすしに阪神高速道路で車から降ろされて置き去りにされたり、ふぐちり屋の二階の窓から屋外に蹴落とされたりもしている。

若手時代から要領が良く小銭を持っていたひろしは無事な場合が多かったが、一本立ちしてからも電話魔のやすしには悩まされ、「どこにおるんじゃ!ボケ」の一言で呼び出されたり、電話口で「はいそうですね」と応じていると「ほんでな、コラお前ちゃんと聞いてるんか?!」と突如逆上されたりした。

1994年(平成6年)初夏頃、ひろし宅に師匠から電話で「もしもし横山やすしだが、ひろし頑張りや。うん、よう見てるで。一着取りや。以上!」と16秒の留守電メッセージが入っていた。やすしの死後の追悼特番でひろしは「『一着取りや』のとこがね。もう師匠は自分は一着を取れんと悟っていたんでしょうね。それを僕らに託したんでしょう。師匠ってのは、僕らにとって親みたいですから」と語っている。

現在もそのテープを大切に保管しており、師弟愛の程がうかがわれる(古川嘉一郎「横山やすし 夢のなごり」)。

一方たかしはやすしの出棺の際、「師匠は、漫才の星から地球へ漫才しに来た、漫才星人です」と言って号泣した。

角座閉館のおり、吉本への移籍をやすしに依頼するも相手にされず一時は師弟関係に亀裂が生じたこともあったが、師弟の絆は固く、たかしは心底やすしを尊敬し、師匠のやすしを織田信長に例えている。

春やすこ・春けいことの関係
横山ひろしは、春けいこのデビュー前からの永年の交際の末、1982年(昭和57年)に結婚。二女がある。

ひろし・けいこの結婚に続いて、たかしと、けいこの相方・春やすこが結納まで交わすも、やすこが「たかしに人前で殴られた」と会見で述べ、一方的に婚約解消した。

その後やすこは後年一般人と結婚したが、破局の理由がたかしの暴力ではなく、たかしがいわゆる”太っ腹の遊び人”であることを理由に、両親に反対されたことを告白している。

たかしは一男をもうけて1982年に離婚した前夫人に、23年後の2005年(平成17年)、阪神タイガースのリーグ優勝を期に復縁を申し出て再婚。

その模様は公開挙式としてテレビ中継された。

島根県で別居中の夫人は広島東洋カープファンで、阪神には関心が無いという。

この間、たかしは昏睡強盗の被害に遭っている。

横山たかしの死去

ほら吹き漫才の横山たかしさん死去、やすしさん弟子#横山たかし #死去 #芸能ニュースhttps://t.co/JpsU2teVWA @nikkansportsさんから

— 日刊スポーツ (@nikkansports) June 2, 2019

おぼっちゃまキャラ、金ぴか衣装、すまんの~のセリフが代名詞の横山たかしさんが6月1日に死去されました。

68年にコンビを結成し、故やすしさんに師事します。

結成当時はたかしさんが女性を演じおかまどつき漫才で人気を確立しました。

後の路線を変更しほら吹き漫才で、大ブレークしました。

94年には、上方漫才の頂点「上方漫才大賞」を受賞し松竹芸能の中心となる活躍をしました。

14年にはヘルニアで約1年間のリハビリをするも下半身は自由が利かない状況でした。

後輩芸人のアドバイスで金ぴか車椅子にのり漫才を再開する事が出来たようです。

昨年の1月に手術を受け5月に復帰するも12月の舞台を最後に再入院しました。

そのまま、回復する事なく、6月1日に死去されました。

横山たかしの功績

横山たかしひろしさんの漫才は師匠のやすしさんの人の悪口を言わない、不快な思いをお客様にさせないを守った漫才でした。

この漫才の考え方は、後輩芸人の見本となっています。

横山たかしさんのご冥福をお祈りします。

芸能

author

関連記事

Copied title and URL