タイ政府の発表によるとワチラロン コン国王(66)が4度目の結婚を
されたようです。
5月4日~6日には戴冠式が予定さ れておりその関係もあり1日に結婚
報告をしたもようです。
崇敬されていた父親のプミポン・ア ドゥンヤデート前国王が亡くなられ 国王を即位されてから2年半後の開
催となります。
ただ、ワチラロンコン国王ですが前 国王と違い評判はかなり悪く奇行が
目立つ事で有名なようです。
ワチラロンコン国王はどのような方 を王妃に迎えたかについて紹介しま
す。
目次
ワチラロンコン国王の王妃とは
ワチラロンコン国王の王妃は24歳 年下の女性のようですがどのような
方なのか紹介します。
タイ政府は1日、ワチラロンコン国王(66)が軍に所属するスティダーさんを王妃に迎えたことを明らかにした。
タイの英字紙ネーションによると、スティダー妃は40歳。タイ航空の客室乗務員を経て、国王が皇太子だった2014年に皇太子の護衛部隊の責任者となり、16年12月から国王の護衛部隊の幹部を務めてきたという。
ワチラロンコン国王は16年10月のプミポン前国王の死去を受けて即位。
今月4日から戴冠(たいかん)式が予定されており、それを前に王妃を正式に決めたとみられる。
ワチラロンコン国王は、過去に3度の結婚歴があるとされる。
これまでの結婚と離婚について
紹介します。
2019年5月までに四度の結婚と三度の離婚を経験している。
タイ建国後ここまで結婚した前例はない。1人目のソームサワリー妃は、シリキット王妃の姪で従姉妹にあたり、ラーマ5世の男系子孫で結婚前にもモームルワンの称号を持っており、離婚後も王族の一員として活動している。
元女優で2人目のスチャーリニー妃と息子は、離婚後に全員が国外へ追放され、アメリカ合衆国に平民として居住中。3人目のシーラット妃は、タイ中部の出身地に戻り平民として生活しており、1人息子(ドイツ在住)に連絡を取ることも禁じられている。
4人目の相手であった元タイ国際航空の客室乗務員スティダ・ワチラロンコン・ナ・アユタヤと2019年5月1日に正式に結婚式を挙げたものの、デイリーメールは5人目のシニーナート・ウォンワシラパックとの生活を2017年に報道した。
ワチラロンコン国王はすでに愛人も いるようで日本の皇室とはかなり違
う印象を受けます。
ワチラロンコン国王の戴冠式とは
タイ国王の戴冠式とはどのようなも
のか紹介します。
タイ王室は1日、ワチラロンコン国王(66)の戴冠式を5月4日に執り行うと発表した。
父の故プミポン前国王の在位期間が長かったため、タイで国王の戴冠式が催されるのは69年ぶりとなる。
王室は文書で「国王が戴冠式の実施をお認めになった」と発表した。
ワチラロンコン国王は前国王死去後の2016年12月に即位を表明したが、戴冠式の日取りについては沈黙を保っていた。
前国王の戴冠式が開かれたのは1950年5月5日。
長男のワチラロンコン国王は69年後の同じ時期に自らの戴冠式を開くことになる。
2014年から軍事政権が治めてきたタイでは、2月24日に総選挙が実施される見通し。
戴冠式のタイミングではまだ次期政権は発足していない公算が大きく、戴冠式は軍政下でおこなわれることになりそうだ。
総選挙の後に、国を挙げての戴冠式準備が控えることになる。
この日取りを選んだ国王の意図は不明だが、5月初めが憲法上の実施期限である総選挙の着実な実施を後押ししそう。
「総選挙後の政治対立や政情混乱を抑える効果もある」(タイ政治の専門家)との見方が出ている。
戴冠式とは日本では即位礼正殿の儀 に近い意味合いがあるのではないか
と思われます。
ワチラロンコン国王のこれから
ワチラロンコン国王の奇行について
紹介します。
4度の結婚歴やその奔放な私生活から、海外マスコミの一面を賑わすことが多い。
もちろんタイ国内では不敬罪で報道関係者が投獄される可能性があるため、その全容は報道できない。
2007年には、当時3人目の妻であったシーラット妃の30歳誕生パーティーで、本人を大勢の人間がいる中、一人だけ裸にさせている映像が出回った。
なお2014年にシーラットと離婚後、なぜか彼女の両親や兄弟が、汚職や不敬罪で次々と逮捕された。
2016年7月22日、ワチラーロンコーンがドイツに持つ別荘に向かう途中、ミュンヘン空港での姿を現地のタブロイド紙が発表している。
服装は女物のタンクトップ、ずり下がったジーンズ、サンダルというラフな格好の上、背中には大きな刺青が施されていた。
ワチラーロンコーンの数少ない外交業務に1987年の訪日がある。
この時、妻ではなく愛人を連れて行こうとしたが、外交儀礼に反するという理由で日本国政府に拒否されている。
日本滞在中、自動車で移動中に小便を我慢できなくなり、高速道料金所の便所で用を済ますことになったり、除幕式で背丈に合わない椅子が用意されたりした。
それを自分に対する冷遇と受け取り、予定より3日早くタイ王国に帰国した。
9年後の1996年、当時の内閣総理大臣であった橋本龍太郎がタイで行われた国際サミットに参加した際に、日本に対する報復を行った。
バンコクのドンムアン空港に、橋本首相が搭乗した日本国政府専用機が着陸した際、ワチラーロンコーンも3機のタイ王国空軍の戦闘機を使って滑走路を塞がせた。
橋本首相は約20分間機内に閉じ込められたが、日本国政府は敢えて抗議をしない対応を取った。
前国王が70年も公務を務められた のはワチラロンコン国王に即位する 事に不安を持っておられたからのよ
うです。
国内外を問わず各地を訪問し地道に 活動する妹のシリントーン王女の人 気は非常に高く彼女を国王にという
声は今でも多いそうです。
今回の結婚と戴冠式で国王の奇行や 浪費癖がなきなるのか注目されて
います。
–その他