5月1日の0時に皇太子が新天皇に 即位され元号が平成から令和に改元
されます。
前回は江戸時代後期の1817年に行 われた光格天皇の生前退位で仁孝
天皇への譲位されています。
光格天皇は江戸時代後期から37年 の在位をされてからの退位でした
。
目次
光格天皇依頼の生前退位の流れ
光格天皇依頼の生前退位依頼202 年以来になりますが本日は午前中よ り皇居の宮中三殿で天皇のみ身につ けられる特別な装束を着て、退位の 儀式に臨み、歴代天皇や皇族、神々
に退位を報告されます。
その後の流れは以下の通りになり
ます。
天皇陛下が30日、退位する。天皇退位は1817年の光格天皇以来202年ぶり。陛下は85歳。30日に皇居で憲政史上初の「退位礼正殿(せいでん)の儀」に臨み、在位中最後の「おことば」を述べる。5月1日午前0時に59歳の皇太子さまが新天皇に即位し、元号は平成から「令和」となる。
陛下が2016年8月にビデオメッセージで退位の意向を示してから約2年9カ月。退位特例法による「一代限り」の退位となる。退位後、陛下は「上皇」に、皇后さまは「上皇后」となり、雅子さまが新皇后となる。秋篠宮さまが皇位継承順位第1位で皇太子待遇の「皇嗣(こうし)」となる。
退位礼正殿の儀は4月30日午後5時から、皇居の宮殿・松の間で国事行為として行われる。
代替わりでは、皇位のしるしとされる三種の神器(鏡、剣、璽〈じ、まが玉〉)が新天皇に引き継がれる。憲法が定める政教分離原則への配慮から、儀式では剣と璽が、通常の国事行為の執務で使われる国璽(こくじ、日本国の印)、御璽(ぎょじ、天皇の印)とともに会場に置かれる。
それでは202年前に生前退位され
た光格天皇について紹介します。
光格天皇とは
光格天皇は明治天皇のひいおじいさ んにあたる方で第119代の天皇で
す。
明治時代には生前退位をなくす条例 が可決されましたので江戸時代後期 に光格天皇がされた生前退位以来
本日までされていませんでした。
光格天皇はどのような方だったのか
紹介します。
光格天皇(こうかくてんのう、1771年9月23日(明和8年8月15日) – 1840年12月11日(天保11年11月18日))は、江戸時代の第119代天皇(在位:1780年1月1日(安永8年11月25日) – 1817年5月7日(文化14年3月22日))。
幼名を祐宮(さちのみや)という。諱は初め師仁(もろひと)としたが、死人(しにん)に音が通じるのを忌み、践祚と同時に兼仁(ともひと)に改めた。傍系の閑院宮家から即位したためか、中世以来絶えていた朝儀の再興、朝権の回復に熱心であり、朝廷が近代天皇制へ移行する下地を作ったと評価されている。
実父閑院宮典仁親王と同じく歌道の達人でもあった。
2019年(平成31年)現在、譲位し太上天皇になった最後の天皇であり、また父母共に天皇ではなく先代(後桃園天皇)とは2親等以上離れて傍系継承した最後の天皇でもあり、以降今上天皇まで全て直系の男系男子で皇位が継承されている。
光格天皇は博学多才で学問に熱心な 方で、朝廷の公式教育機関の復活を 構想し明治維新に大きな影響を与え
た人物です。
光格天皇の生前退位の理由
史上初の上皇は持統上皇(第41代 天皇)で光格上皇(第119代天 皇)まで79人の天皇がいましたが そのうち59名は生前退位してい
ます。
死はけがれという日本独特の考えが あり即位中の死を避ける為に生前退
位はよく行われていました。
体調が悪く余命が少ない時に上皇に なられたケースは醍醐天皇、一条天
皇、後朱雀天皇などです。
亡くなられた事を隠し生前退位を完了 後に上皇として亡くなられ事にしたの は平安時代の後一条天皇や江戸時代の
後桃園天皇だそうです。
生前退位の理由としては健康上の理由 で治療に専念する天皇自身の希望が多 いようで光格天皇もそのような理由
だと思われます。
元号が変わる事がもしかしたら今回 が最後になるのかもしれないのでは
と個人的には思います。
–その他