https://www.nikkansports.com 引用
元双羽黒の北尾光司さんが、2月 10日に慢性腎不全で亡くなられ
ました。
まだ55歳の若さでしたが、40歳 からは病気との闘いだったよう
です。
一人娘の述懐が記事になっています
ので紹介します。
私が物心ついたころには、父はも ちろん相撲も格闘技もやっていませ
んでした。
家でも、その当時の話はほとんどし
なかった。ですから、ほかのお父さんと違うと ころは、背が高くて、多趣味である ことくらいにしか思って
いませんでした。
パソコン関係の仕事をしていて、そ
れで稼いでいたみたいです。また、ナイフや刀、エアガンの収集 も趣味で、『ナイフマガジン』に記
事を寄稿することもありました。
だんだんと、北尾氏の体を蝕んで
いったのは、糖尿病だった。「元気なときは旅行に連れて行ってく れたり、一緒にゲームで遊んだりして いましたけど、私が中学のころから 具合が悪くなり、高校1年生くらいに は、父は寝たきりに近い
状態になりました。
トイレにも一人では行けなくなり、母 や私が介添えをした。6年ほど前には 両足首に褥瘡(じょくそう)ができて
より歩行困難に。
一時は、両足の切断を医師に勧められ
るほどでした。加えて、腎機能も低下し、その治療も
行わなければならなくなったという。この5年間ほどは、千葉県内の病院
にずっと入院していました。昨秋からは人工透析を始めるように
もなった。最近は、目もあまり見えなくなって
意識も朦朧とした状態でした。私がお見舞いに行くと、誰?どこ? といった感じで、私のことさえわか
らなくなってしまって。
それ以降、北尾氏は二度と娘を認識
することがなかったという。世間では破天荒だとか怖いイメージ があるかと思いますが、本当に
優しい父でした。
入学式や卒業式などでも、娘がから かわれるかもしれないからと、一度 も顔を見せたことは
ありませんでした。
幼いときにはリカちゃん人形をくれ たり、私を女の子らしく育てようと
してくれていた。
父の娘でも、“顔にケガをしたら大変 だから”と、格闘技系の習い事をした
ことはありません。
父とはもっと遊びたかったし、一緒に お酒も飲んでみたかった。
心残りばかりです。
夫人と娘だけで家族葬を執り行い
北尾氏は荼毘に付されたという。晩年は病に苦しんだ波瀾万丈の人生 だったが、美貌の一人娘を残せたこ とで、棺を蓋(おお)いて事定 まったということでは
ないだろうか。
「週刊新潮」2019年4月11日
号 掲載https://headlines.yahoo.co.jp 引用
北尾光司さんの本来の優しい性格と この15年間の病気との闘いが
よく理解出来た内容でした。
それではもともと北尾光司さんが 双羽黒時代に誤解された事件など
を紹介していきます。
まずは、元双羽黒・北尾光司さん
の経歴から紹介します。
目次
双羽黒事件とは?北尾光司の経歴
https://headlines.yahoo.co.jp 引用
双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ) ・本名:北尾光司 ・生年月日:1963年8月12日 ・没年月日:2019年2月10日 (55歳没) ・出身:三重県津市 ・身長:199cm ・体重:151kg
・所属部屋:立浪部屋
小学生の頃から相撲をはじめ地元の
相撲大会では何回も優勝しています。
中学生時代には同じ中学生では相手 にならず、三重高校まで行きますが、 そこでも北尾光司さんに勝てる人は
1人もいませんでした。
中学卒業後は立浪部屋に入門し父親 とは5年で関取になれなかったら帰っ
て来る約束を交わしています。
性格的にはおぼっちゃんで甘い面も ありましたが、恵まれた身体を武器
に第60代横綱までのぼりつめます。
22歳11ヶ月での横綱昇進は昭和 以降では4位のスピード記録で しかも優勝経験が無い力士の
横綱昇進は初めての事でした。
そして横綱として何回か優勝を おしい所で逃した後にある事件 で、相撲を廃業まで追い込まれ 優勝経験の無い唯一の横綱に
なってしまいました。
双羽黒事件とは?
双羽黒事件は、1987年12月
27日に発生しました。
親方との意見の食い違い から部屋を脱走しそのまま
廃業となった事件です。
双羽黒がこんなちゃんこくえるかと の発言を聞いた若い衆が親方に報告
し親方ともめてしまいます。
ただ、ちゃんこがうまい、まずいの 問題ではなく練習などたるんでいた 若い衆が作るちゃんこは食べれない
という事だったようです。
双羽黒は何回も親方にその件で若い 衆に注意するように言いますが聞き 入れてもらえず親方と大喧嘩に
なってしまったようです。
女将さんに怪我をその時に負わした 事になっていますが、実は喧嘩の 仲裁に入った際に怪我をされていま すので、厳密には親方にも責任が
ある内容でした。
双羽黒は若くて甘えた性格と 見られていたので、反論も ほぼ通らず廃業に追い込まれ
ます。
昔も現在も相撲協会の内部事情は
闇が多いです。
双羽黒事件とは?引退後の活動
北尾光司さんは相撲を廃業してから
1990年にプロレスを始めます。
ただ、プロレスをなめていたのか 練習をまともにせずにいろんな 団体に入ってはクビになるケース
を繰り返しました。
なんとかだましだまし続ていまし
たが1998年に引退します。
その後は、表に出る事はなく
晩年は病気との闘いでした。
北尾光司さんは人に優しい性格でし たので、相撲やプロレスのような 格闘技には向いていなかったのかも
しれません。
天性の素質と恵まれた身体がそれを
許さなかったのでしょう。
北尾光司さんのご冥福を
お祈りします。
–スポーツ