永江恭平グローブにこだわり!源田壮亮の死球、右手関節挫傷で先発出場! | サイネタ

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プロ入り前の経歴
小学校1年生の時に野球を始め、中学生時代は「小郡リトルシニア」でプレーした(その時の監督は広島東洋カープなどに在籍、特に西武の1980年代の黄金期に左のワンポイントリリーフとして名を馳せた永射保)。

海星高等学校では1年生の時に遊撃手のレギュラーになった。

主将として迎えた3年生時の夏の長崎大会では投手としても3試合に登板した。

第93回全国高等学校野球選手権大会では初戦で東洋大姫路高校と対戦。

3番・遊撃手として先発出場し、エースの原樹理相手に4打数1安打だった。

先発投手が負傷したため4回の途中に急遽救援登板し、4回2/3を投げ3点本塁打を打たれるなど4失点だった。

高校通算では27本塁打を放った。

2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で埼玉西武ライオンズに4巡目で指名され、契約金4,000万円、年俸600万円(金額は推定)で仮契約を結んだ。背番号は「59」。

永江恭平のプロ入り後の成績と特徴

https://ja.wikipedia.org 引用

永江恭平の特徴は守備の確実性が高
く肩も強肩です。

本来はショートですが、源田選手が いますので、最近は3塁の守備固め

の起用が増えています。

課題はやはり打撃で、2割後半を 出せないとなかなか先発では起用

してもらえないかもしれません。

在籍は7年間で通算記録は以下の
通りです。

試合:348試合 打数:359打席 安打数:48本 本塁打:2本 打率:157 打点:17

盗塁:2

プロ入り後の経歴

2012年3月6日に行われた東北楽天ゴールデンイーグルスとの練習試合では先発出場し、3安打1盗塁を記録した。

7月14日に初めて出場選手登録され、7月15日の対オリックス・バファローズ戦の9回に代打でプロ初出場し、初打席は三振だった。

7月25日の対千葉ロッテマリーンズ戦では9番・二塁手で初先発出場し、10月3日の対楽天戦では5回の第2打席で初安打を放った。

2013年3月29日の北海道日本ハムファイターズとの開幕戦では、9番・遊撃手で先発出場した。

西武において、開幕戦で十代の遊撃手が先発出場したのは1954年の豊田泰光以来だった。

6月12日の対中日ドラゴンズ戦の8回に適時打を放ち、プロ初打点を挙げ、7月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦の5回には初本塁打を放ち、9月15日の対ロッテ戦の7回に初盗塁を記録した。

2014年は開幕を二軍で迎え、4月18日に出場選手登録されると、同日の対オリックス・バファローズ戦でシーズン初出場。

最終的に出場試合数は前年を下回ったものの打席数が増え、打率と出塁率もわずかに向上した。

二軍では、7月17日に行われたフレッシュオールスターゲームにおいて1番・二塁手で先発出場したが、4打数無安打だった。

2015年の春季キャンプでは田辺徳雄監督の指導のもと、プロ入り時から左打ちであるが右打ちの練習を行った。

この年も開幕を二軍で迎え、6月10日に一軍登録された。

昇格後は主に遊撃手として起用され、54試合に出場。守備固めの起用が多く、1年目より少ない30打席にとどまった。

2016年も二軍で開幕を迎えた。5月12日に一軍登録され、昇格後は遊撃手として起用された。

6月下旬に鬼崎裕司から遊撃のポジションを奪取したものの、打率は1割台へ下降。

8月から再び鬼崎にポジションを奪われ、その後は守備固めの起用となった。

この年は74試合で打率.162だった。オフに背番号を浅村栄斗が付けていたに変更した。

2017年は4年ぶりに開幕一軍登録を果たすが、遊撃手は源田壮亮が務めていたため、三塁の守備固めでの起用が主となった。

5月30日に一軍登録を抹消されるが8月15日に一軍登録され、8月16日には9番・三塁手で先発出場した。

2018年は4試合の出場に留まった。

https://ja.wikipedia.org 引用

永江恭平のこれから

プロ野球選手グローブ.com/iphone/lions 引用

永江恭平選手は久保田スラッガー のグローブの中でもセカンド・ ショート用としてラインナップ されているKSG-6PSMという 小さなグラブを使用されて

います。

グローブの先まで神経が届く感覚
を大切にされているそうです。

首脳陣からは守備で高い評価を 得ていますので、ショート以外 のポジション(外野手)なども 挑戦してみるのもありかなと

思われます。

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