高知市内には明治になってから三か所に遊郭ができました。高知城の西側にあった玉水新地、東側にあった稲荷遊郭、五台山にできた吸江新地がありました。その手の歓楽街は中心地から少し外れた場所にあり当時の人からすると不便だったんでしょう。
そのため中心地にほど近い場所には表向きは料理店を装った店が乱立したそうです。
戦後、吸江新地と稲荷遊郭は戦火に見舞われ復興せず廃業。唯一残ったのが玉水新地でした。戦後は遊郭が廃止となり赤線に切り替わるのですが、高知市内には複数の赤線街ができたそうです。普通に飲食店を経営するよりは接客の伴う飲み屋の方が実入りがよいし、特殊飲食店の方がもっと稼ぎが良かったのでしょう。需要があるから供給がある。そんな感じであっちこっちにできたそうです。それが高知市の繁華街の近く、堺町にもできたんだとか。
出典:https://real-hunter.com/machi/20230812.html
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