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奥克彦、ウェークアップ!ぷらすで話題に!ラグビーW杯招致の立役者、外交官奥克彦!

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9月21日、ウェークアップ!ぷらすで「ラグビーW杯招致の立役者、外交官奥克彦」日本を想い、イラクを翔けた男の思いの特集が放送され話題になっています。

奥克彦さんは外務省入省後、オックスフォード大学(英国・ロンドン)で2年間の研修生活を送りオックスフォード大ラグビークラブで1軍の公式戦に出場した初の日本人になりました。

その後、外交官として世界中を飛び回る間にも培った人脈を生かし、協会の国際委員を務めるなど心にはいつも日本ラグビーへの愛がありました。

奥克彦さんは元総理・森喜朗のもとへ何度も通い、W杯日本開催への夢を訴えていたそうです。

奥克彦、ウェークアップ!ぷらすで話題に!の反応

イラクでテロリストにより殺害された外交官・故奥克彦さんが、世界中を駆け回りながら日本でのラグビーW杯開催を夢見た事が紹介されています。

奥克彦とは


奥 克彦(おく かつひこ)

経歴
☆1958年(昭和33年)1月3日、兵庫県宝塚市に生まれる。
☆1973年 宝塚市立宝塚中学校卒業。
☆1976年 兵庫県立伊丹高等学校卒業。
☆1981年 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(外務公務員採用上級試験に合格)。
☆1981年4月 外務省に入省。
☆1982年 英語研修(在イギリス日本国大使館外交官補として、オックスフォード大学ハートフォード・カレッジにて在外研修)
ラグビー部に所属し、レギュラーとして活躍。
☆1985年 関東ラグビーフットボール協会ツアーコミッティ委員
大臣官房
アジア局南西アジア課
情報調査局安全保障政策室
☆1990年8月より、在イラン大使館二等書記官
在米国大使館一等書記官
在外公館課首席事務官
会計課首席事務官
北米局日米協力推進室長兼経済局アジア欧州協力室長
経済局国際経済第一課長
総合外交政策局国連政策課長等を歴任。
☆1996年 日本ラグビーフットボール協会国際委員会委員
☆1999年 日本ラグビーフットボール協会総務委員会委員
☆2001年10月より、在イギリス日本大使館参事官。
☆2001年12月 田中眞紀子外務大臣により懲戒戒告処分(給与20%1カ月分自主返納)。
☆2003年4月 米国が復興人道支援室 (ORHA) を設立した直後からイラクに長期出張。復興人道支援室(5月に連合暫定施政当局 に改編)と日本政府とのパイプ役を務め、日本のイラク復興支援の先頭に立って活動。
☆2003年11月29日 井ノ上正盛三等書記官と共に北部イラク支援会議に出席するため、ティクリート(イラク北部)に四輪駆動の軽防弾車で向かう途上を銃撃され殉職(イラク日本人外交官射殺事件)。享年45。同日付で、従四位に叙され、旭日中綬章授与。大使の称号付与。
☆2003年12月6日 青山葬儀所で奥家・井ノ上家・外務省合同葬がとりおこなわれ、小泉純一郎総理大臣以下、総理大臣経験者、現職大臣、また各国大使などが参列した。

人物
☆小中学時代は野球、高校以降はラグビーに打ち込むかたわら、学業にも励む。
☆兵庫県立伊丹高校2年生の時に第54回全国高等学校ラグビーフットボール大会(於 東大阪花園ラグビー場)に出場。3年生ではキャプテンとして活躍した。
☆早稲田大学政治経済学部政治学科の2年生までラグビー部に在籍。その時、宿沢広朗に指導を受ける。1978年8月(20歳)、公務員試験(外交官志望)に備えるためにラグビーを退部。本人は退部したことを後々まで悔やんでいたという(『ラグビーマガジン』2004年2月号 奥大使追悼特集記事)。
☆研修留学したオックスフォード大では、日本人として初めてのレギュラー選手(ウィング)として活躍。
☆英国で120年以上の歴史を持つ英国伝統の会員制紳士クラブ「ギャリック・クラブ」(ロンドン市内)における日本人初の会員となった。 同クラブでは2003年12月8日 奥をしのぶ会が開かれた。主催したのは、オックスフォード大で奥と共にラグビーをプレイしたレッジ・クラーク(英政界第3党・自民党幹部職員、45歳)。
☆日本ラグビーフットボール協会員。
☆2003年、イラクへ赴任。

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