小島慶子、AERAで炎上!旭日旗問題なしと表明するのは、五輪開催国として最悪の判断 | サイネタ

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9月14日、AERAえの小島慶子さんの東京オリンピックで旭日旗 どんな人が振るのかという記事が掲載され炎上しています。

旭日旗は日本がアジア諸国に侵攻した際に用いていた軍の旗で国際試合の場で旭日旗を振るという行為は、日本による植民地支配の歴史を賛美する意味に取られかない考えを示しています。

小島慶子はまず自分のその記事を掲載した、公正な報道をするべき新聞社の社旗のデザインが旭日旗であることを憂慮すべきではないかと思いますね。 pic.twitter.com/WgZmWWXn1I

— プリンオイルン (@qunnovv) September 14, 2019

小島慶子、AERAで炎上!の反応

小島慶子「旭日旗問題なしと表明するのは、五輪開催国として最悪の判断。旭日旗は日本がアジアに侵攻した際に用いていた軍の旗」~ネットの反応「全くの無知」「その理屈なら日章旗もダメってことになるわな、なぜそこには触れない?」 https://t.co/CLcxAmxdOo

— アノニマスポスト (@vG2AZlCr4F3hx6Y) September 14, 2019

小島慶子「東京オリンピックで旭日旗 どんな人が振るのか」 https://t.co/vGvoIUWhjm @dot_asahi_pubより

見たくないなら見なきゃいい(笑)世界世界とおっしゃるが、ほぼほぼ韓国しかイチャモンつけてないがな💦💦狭い世界やなあ( ´ ▽ ` )

— Sasugakaito (@jojoxyz1025) September 14, 2019

ならば宗主国たるとこの国旗はすべからく振ったらダメにしないとダメじゃん、何で日本限定?w

QT 国際試合の場で旭日旗を振るという行為は、日本による植民地支配の歴史を賛美する意味に取られかねません

小島慶子「東京オリンピックで旭日旗 どんな人が振るのか」https://t.co/45Srqp3n80

— MANAKO40 (@nekoroll) September 14, 2019

日本は朝鮮と戦争してないし侵略もしてない。併合です。日本が植民地にした東南アジアの国々には戦後に賠償している。私たちもその賠償が欲しいと韓国が駄々こねてるだけ。

小島慶子「東京オリンピックで旭日旗 どんな人が振るのか」 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット) https://t.co/R1s20eWpKx

— 何が悪い?マジで (@7n13fMyEZXjgvQi) September 14, 2019

小島慶子とは

喜怒哀楽のサラリーマン時代
小島慶子さん

管理職には向かない 社内表彰で退社を決意|日刊ゲンダイDIGITAL https://t.co/CwR3wZ4IWE

— 小島慶子 (@account_kkojima) September 14, 2019

小島 慶子(こじま けいこ)

☆出身地 オーストラリア ☆国籍 日本 ☆生年月日 1972年7月27日(47歳) ☆血液型 B(Rh+) ☆最終学歴 学習院大学法学部政治学科 ☆所属事務所 オスカープロモーション ☆職歴 TBSアナウンサー(1995年4月 – 2010年6月) キャスト・プラス(2010年7月 – 2013年7月) ☆活動期間 1995年 – ☆ジャンル 報道・情報 ☆配偶者

あり

経歴
オーストラリアのパースで出生したのち、父親の仕事の都合で、7歳のころはシンガポールに、8歳から9歳のころは中国返還前の香港と日本国外で暮らしています。

のち日本に帰国、日野市立三沢台小学校、学習院女子中・高等科へ進学、15歳のとき過食嘔吐を繰り返し、摂食障害を経験しました。

学習院大学法学部政治学科卒業後、1995年4月、TBSにアナウンサー30期生として入社(同期には小川知子・堀井美香)しあmした。

TBS現・TBS放送センター建て替え移転後の最初のアナウンサーにあたります。

身長は172cmと女性アナウンサーとしては高いことから、後輩の小倉弘子とともに「TBSのツインタワー」といわれることがありました。

新人のころ、写真週刊誌『FLASH』(光文社刊、1995年10月10日号)のインタビューで「若いうちはバラエティーに、将来は報道を担当したい」と語っており、入社3年目(1997年11月)に番組宣伝がきっかけで『日立 世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターを務めました。

入社4年目(1998年)の秋、ラジオ番組『BATTLE TALK RADIO アクセス』の初代ナビゲーターになりました。

1999年に第36回ギャラクシー賞DJパーソナリティー部門賞を受賞しています。

30歳で長男出産、産休が明けた後、『ニュースフロント』、『時事放談』と主に報道番組を担当します。

33歳で次男出産、産休が明けた後の2006年10月に、ラジオのレギュラー番組『久米宏 ラジオなんですけど』が始まります。

2009年3月末より『小島慶子 キラ☆キラ』のメインパーソナリティーに就きました。

2010年4月3日にTBSを退社。10年前から独立を意識しており、幅広い分野で自らの可能性を追いたいと周囲に述べていたといました。

4月28日の自身の番組内でこの報道を認めて、6月30日をもって退社する旨を告げ、退社後はキャスト・プラスに所属します]。

キャスト・プラスもTBSの関連会社です。

2013年8月1日、キャスト・プラスからオスカープロモーションに移籍、テレビ制作会社勤務の夫が退職したのを機に、オーストラリアのパースに移住しています。

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