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宮中重大事件、葵徳川三代で話題に!猪熊事件と宮中某重大事件の違いとは?

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9月8日、午前6時00分からNHK BSプレミアム 大河ドラマアンコール 葵 徳川三代で「宮中重大事件」が再放送され話題になっています。

「宮中重大事件」
慶長十三年(1608)四月上旬。京都所司代の板倉勝重(鈴木瑞穂)が駿府城に駆けつけ、宮中の公家衆の不行状を訴える。徳川家康(津川雅彦)は、関白をかえて公家の放蕩(ほうとう)ぶりをあぶりだせと命じる。慶長十四年七月四日、関白・九条忠栄は、後陽成天皇の前で天子の女官たちと公家衆の不義密通を糾弾する。

宮中重大事件、葵徳川三代で話題に!の反応

宮中重大事件、猪熊事件とは

猪熊事件(いのくまじけん)

江戸時代初期の慶長14年(1609年)に起きた、複数の朝廷の高官が絡んだ醜聞事件で、公家の乱脈ぶりが白日の下にさらされただけでなく、江戸幕府による宮廷制御の強化、後陽成天皇の退位のきっかけになりました。

経緯
京都の公家であった左近衛少将・猪熊教利は、天下無双とたたえられるほどの美男子で、『源氏物語』の光源氏や平安時代の在原業平にもたとえられいました。

当時流行したかぶき者の精神を汲んだ彼の髪型や帯の結び方は「猪熊様(いのくまよう)」と称され、京都の流行になるほどだったそうです。

しかし、かねてから女癖が悪く、人妻や宮廷に仕える女官にも手を出し「公家衆乱行随一」と称されていました。

その一方で、若年の頃は高倉家を継いでいたものの、朝廷及び一族内部の事情から山科家の当主に立てられて、後に廃されて新家である猪熊家の当主とされるなど、本人と無関係に各家を転々とさせられるなど決して恵まれた境遇とは言い難く、それが彼の行動に影響を与えた可能性も指摘されています。

慶長12年(1607年)2月には、女官との密通が露顕し、激怒した後陽成天皇から勅勘(天皇からの勘当)を蒙る。

猪熊は京都から追放処分とされ、いったん出奔しましたたが、いつの間にか京へ戻りその後も素行は修まらず、仲間の公卿を誘って女官と不義密通を重ねていたようです。

公家衆への処分
☆死罪
・左近衛少将 猪熊教利
・牙医 兼安備後(頼継)

☆配流
・左近衛権中将 大炊御門頼国 → 硫黄島配流 (→ 慶長18年(1613年)流刑地で死没)
・左近衛少将 花山院忠長 → 蝦夷松前配流 (→ 寛永13年(1636年)勅免)
・左近衛少将 飛鳥井雅賢 → 隠岐配流 (→ 寛永3年(1626年)流刑地で死没)
・左近衛少将 難波宗勝 → 伊豆配流 (→ 慶長17年(1612年)勅免)
・右近衛少将 中御門宗信 → 硫黄島配流 (→ 流刑地で死没)
・新大典侍 広橋局(広橋兼勝の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
・権典侍 中院局(中院通勝の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
・中内侍 水無瀬(水無瀬氏成の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
・菅内侍 唐橋局(唐橋在通の娘) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)
・命婦 讃岐(兼安頼継の妹) → 伊豆新島配流 (→ 元和9年9月(1623年)勅免)

宮中某重大事件とは

宮中某重大事件(きゅうちゅうぼうじゅうだいじけん)

1921年(大正10年)、皇太子・裕仁親王(後の昭和天皇)の妃に内定していた久邇宮良子女王(後の香淳皇后)について、家系に色盲の遺伝があるとして、元老・山縣有朋らが女王及び同宮家に婚約辞退を迫った事件の事をいいます。

概要
良子女王の兄・朝融王が、学習院の身体検査において色弱(色覚異常)だったことが発見されたのが発端となり、元老の山縣らは、良子女王の家系が色盲の遺伝があるとして、女王及び久邇宮家に婚約辞退を迫りました。

これを受けた当初は久邇宮家も辞退やむなしの動きを見せたが、当時病気療養中であった大正天皇に代わって皇室の家長のような存在であった貞明皇后や、良子女王の父・久邇宮邦彦王、元老の松方正義や西園寺公望は婚約の破棄に反対を表明しました。

最終的には、当の裕仁親王本人の意向で婚約辞退は撤回となり、1921年2月10日、政府から「婚約は破棄されることはなくいずれ御成婚」と発表なされています。

この事件で山縣の権威は大きく失墜し、一度は元老と爵位返上の意向も伝えられたが慰留しましたが、翌年、山縣は失意のうちに死去されました。

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